前回は、京焼の大成者・野々村仁清について見てきたね。
卓越したろくろ技術や上絵付け技術を持ち、今や国宝級の作品を制作した
。
そんな仁清に陶器の作り方を教わり、独自の全く新しい焼き物を作り上げて言った人物がいる。
それが、尾形乾山。
前の記事を読んでくれた人は「尾形」の名字にピンと来ているかもしれないね。
そう、あの光琳風絵画を生み出した装飾画家・尾形光琳の弟なんだ。
弟・尾形乾山はしっかり者
兄である尾形光琳と弟の尾形乾山は、父が経営していた呉服屋の巨額の遺産を二人で半分こした。
光琳はそのお金を湯水のように使って、のちのち生活費にすら苦しむようになってたね。
一方の弟・乾山は非常に質素。本が大好きで、読書漬けの毎日を送るほど地味。
そんな乾山が住んでいた地域には、あの天才工芸家・野々村仁清も住んでいた。
乾山は仁清に、本格的に陶芸を教えてもらっていた。
37歳の時、かねてから尾形兄弟を気に入っていた知り合いのお偉いさんが陶器を焼くための窯を作ってくれて、そこから陶芸家としての人生が始まる。
乾山の作風は「素朴」かつ「自由」
乾山の作る焼き物は非常に自由な作風。
食器を主に制作していたんだけど、その形や模様が当時では考えられないような独特のカタチをしているものが多かった。
皿の内側に絵を付けたり、四角い形の皿を作ったり。
ただ、自由だからと言ってド派手でもなければ、使い勝手が悪いわけでもない。
実用性を兼ね備えつつも、何物にもとらわれない作品をたくさん生みだした。
また、兄弟合作の作品も数多く作った。
性格が真反対の二人だけに、合作の作品は非常に特殊なものが出来上がった。
画像は兄弟合作の皿。
絵が光琳で、詩が乾山。
光琳が絵をでかでか描いたせいで乾山の詩が端っこに追いやられている。
尾形兄弟らしさがにじみ出ているね。
まとめ
乾山は非常に質素な生活を送っていたけれど、その生活が作品にも生きて「質素」かつ「自由」な作品に仕上がっていたんだ。
兄弟の仲が非常に良かったことから、乾山の作った皿に光琳が絵を描くことは多かったというよ。