前回は、織田信長による比叡山焼き討ちについて見てきたね。
かなり大きな武力を保持していた比叡山を攻め、壊滅させたんだったね。
今回は、信長と足利義昭の関係について見ていくよ。
信長は当初から義昭の権力を制限
信長は、上洛を成功させたころから“好き勝手やらせないように”足利義昭の将軍としての権力を制限していた。
しかし、このころはまだ義昭と信長の関係はそんなに悪いものではなかった。
むしろ姉川の戦いをしているころは普通に仲間だったし、何ら問題はなかったわけだ。
目的が違った信長と義昭のすれ違い
しかし、目指す目標が違う2人は徐々に敵対していく。
そう、音楽に対する価値観の違いで分裂していくバンドのように。
義昭は「室町幕府復興こそ我が悲願!」って感じで、信長の方は「天下統一だ!天下布武だ!」って感じ。
姉川の戦い以後の小さな問題でのすれ違いが次第に大きな亀裂となって、義昭は信長への不満を募らせていく。
義昭は武田信玄や上杉謙信らに援助を要請し、信長包囲網を作る。
中でも武田軍は非常に強く、信長の部下・徳川家康の軍を破っている。
まとめ
こうして、義昭は信長と完全に敵対する姿勢を見せる。
信長もさすがに多くの強大な戦国大名と戦うのはツライもので、次第に苦しい立場に追い込まれることになる。
しかし、このあと状況は大きく変化する。