1904~05年に日露戦争があったから、
1907年に「日露協約」??えええ!!??
と思ってしまうけれど、日本とイギリスとの関係を確かめてみれば、バッチリ大丈夫!!!
内容もわかりやすく解説しちゃうよ!
イギリスと日本の関係をわかりやすく
日露戦争後、もちろん日本とロシアの関係はよくなかった。
戦争したもの同士だし、お互いに嫌な思いをしたしね。
でも、敵と敵は味方!日本とロシアの共通の敵があらわれると、日本とロシアが急接近しはじめるんだ。
その共通の敵がイギリス!!
いままで日本は日英同盟(ここで詳しくやったよ)でイギリスと協調していたんだ。
でも日米関係が悪化したせいで、イギリスが日本と仲良くするのをやめた。
もともと日本がイギリスと仲良くしたのは、ロシアが中国支配を拡大していくのを食い止めるためだった。
イギリスと日本が同盟を組んでロシアを威嚇しようとしたんだね。
でもイギリスと手を組んでロシアを抑えることができなくなったいま、やることはただ一つ!
「ロシアと手を組んでお互いの取り分を確認すること」
ロシアと日本の急接近
なんでロシアと日本がお互いの取り分を確認する必要があったのかというと、
ロシアと日本は国が近いからまた植民地の問題で戦争を起こしてしまう可能性がでてくるんだ。
だから
「ここからここまでは日本のものね。そんでもって、そこからそこまではロシアのものね。お互いにこの約束は破らないようにしようぜ!」
という約束をした。
それが1907年
日露協約(にちろきょうやく)!!!
これで日本は南満州、東部内蒙古の権益圏をロシアと確認したよ。
満州は「南」で、内蒙古は「東」ね!!!