金の切れ目が縁の切れ目という言葉があるね。
お金での関係はお金が無くなったら消えてしまうこと。
でもこんなことわざがあるということは、お金での関係って結構たくさんあるからなんだよね。
アルバイトをやったことがある人は、お金のために嫌な上司に我慢しながら働いたことってあるんじゃないかな。
お金の力ってもの凄いんだ(絶対ではないけどね)。お金のためなら嫌な人とも関係できるもんね!
西原借款もこれを狙ったんだ。「中国さん、お金を貸してあげるよ、だから仲良くしてね」って。
「いやな日本でもお金をくれるなら多少仲良くしてもいいかな」、って中国に思って欲しかったんだね。
それじゃあ、本題に入るよ!
西原借款、なぜ西原?
西原借款(にしはらしゃっかん)がされたのは、寺内(てらうち)内閣のとき。
寺内内閣では、石井ランシング協定(ここで詳しくやったよ)も結ばれたんだったね。
借款(しゃっかん)というのはある国が他の国にお金を貸すこと。
西原借款では日本は中国にたくさんのお金を貸したんだ。
このとき中国の実験を握っていたのは
段祺瑞(だんきずい)!!
袁世凱(えんせいがい)の後任者だね。
でも公にお金を貸しちゃまずいことになるんだ。
アメリカやヨーロッパ諸国に「また日本が中国支配をすすめようとしている!」と思われちゃうからね。
だから寺内正毅(てらうちまさたけ)は自身の秘書、西原亀三(にしはらかめぞう)を媒介して中国に接近することにしたよ。
だから西原借款なんだね。
西原借款、目的
なんで西原借款(にしはらしゃっかん)という他国に文句をいわれるような危険な真似を冒したかというと、中国と仲良くするため。
もちろん単に仲良くするんじゃなくて日本の言いなりになるように中国を育てたかったんだ。
だからお金を貸して日本なしには中国が成り立たないようにしたんだ。
西原借款はいちおう成功した。
他国からたいした文句もいわれず1917年~1918年にかけて日本は中国に総額1億4500万円を融資したんだ。
でもそのお金は返ってこなかった。段祺瑞が没落して返せなくなったからね。
仲良くしようとしたひとが没落して、お金も返ってこなかったから長い目でみたら失敗だね。