前回は、旧里帰農令について見てきたね。
都市部に流入した農民たちに資金を渡すことで農村に帰ってもらい、米をまた作らせようとした令だった。
今回はガラッと変わって、松平定信がやった政策の中で一番画期的な政策を紹介しよう。
その名も「人足寄場(にんそくよせば)」だ!
軽犯罪者の更生施設!?
人足寄場の正式名称は、「加役方(かやくかた)人足寄場」という施設。
この施設の正体とは、軽犯罪を犯した人を収容し再教育・自立の支援を行うという当時では非常に画期的な施設なのだ!
人足寄場が設置される前は、軽犯罪者たちを更生させるため(と称して)佐渡の金山で重労働をさせていた。
しかし更生させるというのは建前で、実際は懲らしめる意味合いのほうが強かった。
そんな中、火付盗賊改方の長官(放火犯専門の警察)、長谷川宣以(のぶため)が松平定信に「犯罪者を本当の意味で更生させる施設をつくりましょうよ」と提案して実現したのが人足寄場。
これは本当に画期的で、ちゃんと機能した更生プログラム・更生施設としては「江戸幕府初」ひいては「世界初」とまで言われている。
現代の刑務所に近いシステム
人足寄場はとても優れた更生プログラムが用意されていた。
犯罪を犯す前大工などをやっていたものに対しては、これを訓練させより技術を磨かせた。特技がない者には土木作業や手工業をやらせた。
人足寄場で働いた分の給料はちゃんと手当として支払われ、その一部は強制的に貯金されていた。
貯金分は、出所する際に返され、出所後生きていくための資金として与えられるようになっていたんだ。
また精神面での更生プログラムも用意されていた。
月に3回、仏教や神道、儒教などのありがたい教えを分かりやすく教えてくれる先生を読んで、収容者に聞かせた。
収容者の中には先生の話によく感動して涙を流していたといわれる。
おまけに、出所後商売をやりたいといった者には土地や店舗をあげたり、農民になるものには田畑を、大工になる者には道具をあげたりと徹底して出所後のケアをした。
まとめ
現代から考えても、この人足寄場は非常に優れた更生施設だってことがわかるよね。
犯罪者は悪!と決めつけるのではなく更生させようと尽力した長谷川さんも素晴らしい人だ。