日露戦争のあとの歴史で注目すべきなのが政府に「金がない」ということ。
戦争で借金をたくさんしたし、増税をして国民を疲弊させたし、日露戦争後の不況で税収も減るし。
もう大変!!
それに加えて軍にお金をかけないと、列強諸国と戦ていけないし、支配されてしまうかもしれない。
政府は節約することと、軍にお金をかけることの板挟み!
それじゃあ、本題に入ろうか。
日露戦争後の財政
日露戦争で日本は勝利したんだけど、賠償金を貰えなかったんだったね。
外国からお金を借りたり、国内の資本家からお金を借りたり、増税をしたりして何とか日露戦争のためのお金を集めた。
それが返せないじゃないか!!!
ということで、日露戦争後の政府は節約!節約!節約!をしてゆくよ。
まあ、難しく言うと、緊縮財政(きんしゅくざいせい)っていう。
政府のする節約は緊縮財政って覚えておけばいいよ。
で、その役目をになったのが
西園寺(さいおんじ)内閣(第二次)!!!
軍備を拡大しながらも他のところで節約をしてなんとかやっていこうとしたよ。
でも日露戦争後はずっと不況。
とても大変な時期が続いたんだ。
2個師団増設問題
そんなとき、1912年に陸軍は
2個師団増設(にこしだんぞうせつ)
を要求したよ。
簡単にいえば、「朝鮮に陸軍の師団をもう一つ増やしてくれ!!」っていう要求だよ。
なんでかっていうと、1911年に中国で辛亥革命が起こったんだったね。
このどさくさに紛れてどんどん支配を拡張していこう!!って考えたんだ。
このときの陸軍大臣は
上原勇作(うえはらゆうさく)!!!
でも、西園寺内閣からしたら「そんな金ないから!無理!」ってなわけ。
閣議で陸軍の要求を拒否するよ。
そうすると陸軍も黙っていない。いまのままの内閣では師団を増設できそうにない。
それじゃあ、西園寺内閣を解散させてしまえ!!
上原勇作は天皇に単独で意見を言える権利を使って陸軍大臣を辞職したよ。
そんでもって誰も大臣を推薦しなかったんだ。陸軍大臣がいない状態では内閣がなりたたない。
だからもう内閣を解散して新しい内閣をつくるしかなかったんだ。
このようにして西園寺内閣は解散!
新しい内閣をつくることになったよ。
ここまでが
2個師団増設問題(にこしだんぞうせつもんだい)!!