昭和時代

日本民主党は反吉田派の鳩山一郎によって結党!造船疑獄事件をわかりやすく。

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サンフランシスコ講和条約を結んだ吉田茂は第5次まで内閣総理大臣を務めるほどだったから

任期もトータルで6年と長かったんだよね。

でも吉田茂内閣も第五次で倒壊してしまう。そのきっかけとなったのが造船疑獄事件で、その後成立したのが鳩山一郎内閣なんだ。

今日はこのあたりの流れを解説していくよ。

 

造船疑獄事件とは?

1953~54年に造船会社と政界有力者の間で起きた贈収賄事件だね。

日本は先の戦争で船がぶっ壊れまくっちゃったから急いで船を増やす必要があったのね。

というのも、船がないと貿易できないからさ。

船を作る事を造船(ぞうせん)と言うんだけど、第一次世界大戦の時は造船業が絶好調で船成金とか呼ばれてたじゃん。

時の吉田茂内閣は造船を盛り上げるために、銀行が造船業に貸すお金の金利を国が負担する政策を打ち出すの。

造船業ほどの大きな事業だと銀行から融資を受けて事業を進めていかないといけないじゃん?

国が金利を負担してあげれば造船業の人たちは銀行からどんどんお金を借りて、船を作るわけだからさ。

 

しかーし!

この吉田茂の政策を推進したい造船業の人達が政界人にお金を渡していたのがマスコミにリークされちゃったんだ。

その時、検察の捜査が吉田茂の可愛がっていた佐藤栄作にまで及んじゃって、吉田茂は犬養健法相に指揮権を命じるのね。

指揮権ってのは、検察の行き過ぎた職権乱用をおさえるために法相に与えられた権利ね。

そこ犬養は吉田茂の言うことを聞いて、『おいおい、もうそれ以上捜査するな!』と検察に指揮権を発動しちゃう。

そしてこれがまずかった。

普通ならすぐに逮捕されるような案件なのに、政治家だったら逮捕されないのか!!

という事でマスコミにボコボコにされて吉田茂内閣は倒壊。

 

吉田茂はワンマン内閣って批判されていて、反吉田派がたくさんいたからこれを機に日本民主党ができあがるの。

 

日本民主党の鳩山一郎

この造船疑獄事件をきっかけに自由党は分裂。

反吉田派の勢力は強くなって政界の再編は必至となったわけ。

1954年11月に改進党、自由党の鳩山派と岸は、日本自由党の3者が合同して、鳩山一郎を総裁とする日本民主党が立ち上げられたんだ。

 

その後、総選挙にて第一次鳩山一郎内閣が誕生。

鳩山一郎って覚えてるかな?日本自由党を作った人物なんだけど公職追放となって総理大臣ができなかった人だよね。

1951年にやっと公職追放が解除されて、ここで念願の総理大臣を務めるってわけさ。

 

鳩山一郎が特に力を入れていたのは、中国・ソ連との国交回復を再軍備を意図するため憲法改正に力を入れていたんだ。

ただ鳩山一郎内閣は一党で過半数を取ることあgできなくて、憲法改正に必要な3分の2を保守勢力で占めるのが困難だったんだよね。

 

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