今回も戦後の民主化政策の話をしよう。
戦前の日本は長らく軍部の支配が続いていたけど、戦争が終わって政党政治が復活してきたね。
政党政治こそ民主化の基礎みたいなもんだから、絶対に覚えたいところなんだけど
大学受験の日本史では政党の名前と人くらいしかやらないから、いかんせん覚えづらい。
しっかり理解して暗記しておきたいところだよ。
個人的には日本共産党が合法政党になったってのが1番覚えやすかったかな。
僕は共産党支持者ではないけどね。
今日は日本自由党について見て行こう。
日本自由党とは?
日本自由党は1945年11月に鳩山一郎を総裁として結成した保守政党だね。
保守政党ってのは革新的な事をするよりも、伝統的な価値観を重んじる党の事でさ。
日本で犬養毅が暗殺されて政党政治が終わった時の立憲政友会の価値観を引き継ごうって事なんだね。
彼らは旧立憲政友会のメンバーで翼賛選挙が行われた時の非推薦組だったわけだ。
翼賛選挙ってのは軍部の政治や戦前の日本の価値観に賛同する人達を推薦して行われた戦時中の選挙だったね。
翼賛選挙について詳しく知りたい人は、『東条英機の翼賛選挙とは?わかりやすく。推薦者381人が当選。』の記事を読んでね。
彼らは合法活動を開始した日本共産党に反抗する反共を唱えて、
1946年の選挙で第1党となったよ。
僕らが良く知っている自由民主党(自民党)の母体となっている政党だね。
総裁の鳩山一郎はせっかく選挙で勝って、あとは総理になるのみ!
って所で、戦前の統帥権干犯問題を起こした事をGHQに問題視されたり、ヒトラーの行政政策を成功と言った事で、公職追放にあっちゃってね。
後任に吉田茂を推薦して吉田茂が総理になったってわけさ。
日本自由党の流れ
大学受験の日本史で暗記しないといけない項目をまとめておくよ。
これはもう復唱しまくって覚えちゃってね。
日本自由党 1945年11月 旧立憲政友会系から結成 鳩山一郎総裁
民主自由党 1948年3月 日本自由党が民主党脱党派を吸収して結成 吉田茂総裁
自由党 1950年3月 民主自由党が民主党連立派の一部を吸収して党名を変更 吉田茂総裁
この辺りは資料集と照らし合わせながら覚えちゃってね。