ヒュースケンの暗殺でも話したけど、攘夷派の動きがだんだん過激になってくるわけ。
武力で開国を迫ってきた外国に対して、武力で対抗しようよ!って考えは至極当然だと思うし、俺も幕末に生まれてたら同じような思想を持っちゃうかもしれない。
その一連の流れで起きた事件が生麦事件なんだわ。生麦って場所はね。実は俺にとっては割と馴染みが深い地域なの。横浜生まれでさ。
鶴見とかってわかる?あのあたりに生麦ってあるんだよね。今日はその生麦事件についてだよ。
生麦事件とは?
さっきも話したけど、生麦事件ってのは横浜の方なの。
横浜市のHPにも生麦事件参考館とか書いてあるしね。
でね、簡単に言うと・・・
イギリス人が横切っちゃったわけ!薩摩藩の行列を!!
薩摩藩の島津久光一行が行列をしているところをイギリス人が横断したから、切ったのね。
当時の日本の武士の慣習に習って切り捨てたわけだけども・・・やっぱり攘夷の機運が高まっていたわけよ。
薩英戦争に発展
もちろんこんなことされて、イギリス側も黙ってないわけ。
江戸幕府に多額の賠償金と切ったやつの身柄を要求するんだけど、幕府弱体化してたじゃん。薩摩藩は言うこと聞けなかったわけね。
「イギリス怒ってるから、切ったやつ連れてきてよ」
「いや、そんなの無理だよ」
って一蹴ね。結局、イギリス艦隊が鹿児島沖に来航して薩英戦争が始まるわけね。
ここでおもしろいのがさ。
薩摩側・・・「やべぇ、イギリス強ぇ。攘夷なんてちょっと無謀かもしんないわ。」 → 後にイギリスと仲良くなる。
イギリス側・・・「やべぇ、日本ナメてたわ。意外にやるじゃん。」 → 後に薩摩と仲良くなる。
って感じで仲良くなるんだよね。昨日の敵は明日の友!まではいかないまでも、お互いを認め合い始めたわけ。
江戸幕府は薩摩にお金を貸して賠償金を支払うんだけど、薩摩藩は返さない。
朝廷は、攘夷のスタンスを取ってるからイギリスに攻撃した薩摩を褒めちゃうよね。