学校の授業なんかでも学ぶように、日本と中国の関係は非常に長い。
なんと弥生時代のころから関係があったんだ。
今回は、そんな古代の日本と中国の様子を見ていくよ。
ムラ、クニの形成
弥生時代、日本は“日本”という国はなくて「小国がいくつも集まっている」状態だった。
この小国はムラだとかクニだとか呼ばれていた。
難しい言葉でいうと、小国は「日本という統一国家ができる、一歩手前の段階」というわけだ。
この小国はある歴史書(後述)によると100国以上あったと言われているんだけど、その中でも1~三世紀ごろまで存在した有名なクニが「奴国(なこく)」。
福岡県の博多にあったこの奴国、実は中国と非常に深いつながりがあるんだ。
当時の中国の様子と日本との関係
日本で小国が乱立しているころ、中国では「漢」という国が大きな力をもって統治していた。
当時アジア圏では最も発達していた国の一つで、朝鮮までも勢力下に収める大きな国だった。
そんな漢に対して、日本の小国の一つである奴国は使者を送った。
なんで奴国が中国に送ったのかというと、奴国は大国・漢から箔をつけてもらうことで近隣の小国と一線を画そうとしたからだと考えられている。
奴国はこの後何回か使者(時には生口という名の奴隷)を送り、その対価として「奴国王」の称号や金印をもらっている。
中国の歴史書はとっても大事
日本では弥生時代に入ってもまだ歴史書などは誕生していなかったから、記録をもとに弥生時代の様子を探るのは不可能。
しかし中国とかかわりを持っていたことで、中国に関連する日本の出来事については、中国の歴史書に記されている。
つまり、中国の歴史書を調べれば弥生時代の日本の様子が推察できる、というわけだね。
奴国が存在していたころの記録は、古い順に
- 『漢書』地理誌
- 『後漢書』東夷伝(ごかんじょとういでん)
がある。
『漢書』地理誌では、日本が百余国に分かれているという記述があり、『後漢書』東夷伝では奴国が光武帝から金印を授かった、という記述があるよ。