前回は、神道に儒学の思想を合わせて「垂加神道」という新しい神道を生み出した山崎闇斎について見てきたね。
闇斎は朱子学をメインに学んでいたよね。
今回紹介する中江藤樹は、最初朱子学を熱心に勉強していたんだけど、のちに江戸時代に「陽明学」を最初に講義した人物となる。
詳しく見ていこう。
近江聖人と呼ばれた中江藤樹
中江藤樹は、農家の長男として生まれた。
9歳で武士であった祖父の養子となって、のちに家を継いだ。
しばらく藩に仕えていたけど、27歳の時「お母さんに孝行がしたいので藩やめさせてくれませんか・・・」とお願いしたら拒否される。
だから藤樹は藩を抜け出して京都に一時身を潜め、その後故郷である近江(滋賀県)に戻った。
そこで藤樹は私塾「藤樹書院」を開いた。
ここで藤樹は最初朱子学に夢中になっていたが、やがて陽明学に傾倒していく。
陽明学は、朱子学に対するものとして生まれた儒学のひとつ。
朱子学がどちらかというと「理想論」を語っているのに対して、陽明学は「実践」を非常に重視した。
真の意味で「知る」ためには、実際になにかやってみないと得ることはできない、という「知行合一」という考え方が根本にある。
この陽明学は、中江藤樹が日本で初めて講義した学問として有名だ。
藤樹は、身分の上下に関係ない「平等」の考えを広め、これは近江の武士や農民、商人たちに浸透していった。
そこから、誰が言い始めたともなく「近江聖人」と呼ばれるようになった。
まとめ
中江藤樹は、日本に陽明学を持ってきた、日本史上とても重要な人物だ。
藤樹に学んだ人物として、あの熊沢蕃山もいる。
次回は熊沢蕃山について見ていこう。