前回は、薩摩藩の富国強兵について見てきた。
島津斉彬による大規模な近代的工場の建設で、軍事力・技術力が大幅に強化されたんだったね。
今回見ていくのは、長州藩(山口県あたり)の藩政改革について。
主導したのは、村田清風(せいふう)という人物だ。
長州藩も財政再建が第一
長州藩も薩摩藩と同じように、借金が溜まりに溜まっていた。
薩摩藩ほどではなかったけど、それでも140万両に相当する借金を負っていた。
この財政問題に取り組んだのが、村田清風だ。
清風もまた調所広郷に負けずとも劣らないエグい政策を打ち出す。
それが、三七ヵ年賦皆済仕法(さんじゅうななかねんぷかいさいしほう)。
借金のうち、元金(利子のついてない、借りた時の金額)の3%を37年間払えば「返済完了」とする、一方的な施策だ。
例えるなら、100万円を返済するのに、3万円を37回ローンを組んだ感じ。
「元金」の3%37回払いだから、利子分は完全にカットされることになる。
越荷方で爆利益!
越荷方とは、長州藩が下関に設けた金融業・倉庫業を行う、一種の貿易会社。
大坂に物資を届ける船が、下関に必ず寄港することに清風が目を付けたことで誕生する。
- 他藩が大坂に運ぼうとする積み荷を、越荷方で買い取る。
- 買い取った積み荷を一時保管し、大坂の相場を見て高値が付いたら大坂に送る。
- 積み荷を担保にしてお金の貸し出しを行う
といった業務をしていた。
ほとんどの船は大坂に行く前に下関を通っていたからこの商売は大繁盛!
これで長州藩は大きな利益を得ることになった。
ここでの利益は、のちに軍艦の購入費に充てられた。
まとめ
清風の行った財政再建は成功し、これによって長州藩も雄藩の一つに名を連ねるようになった。
藩の借金を上手くかわしたことで、財政再建を上手くやることができたんだ。