前回は、打ちこわしと米騒動の違いについて見てきたね。
どちらも米にまつわるものだけど、打ちこわしでは実際に商人や高利貸しなどの家を叩き潰すような「破壊行為」が伴っていたのに対して米騒動は「騒ぐだけ」。
こういった違いがあったね。
今回見ていくのは「村方騒動」だ。“村方”とあるから、農村部で起こった「百姓一揆」とごっちゃになってしまう人もいるだろう。
しっかり整理していこう。
村方騒動は「村の政治を民主化するため」
村方騒動は、文字通り農村部で行われたんだけど、百姓一揆と比べるとものっすごく規模が小さい。
そして、目的も全く違う。
江戸時代、百姓たちには「豪農」「貧農」の二種類に分類することができた。
豪農っていうのは今でいう「地主」で、大規模な土地を持っていた裕福な農民。
これに対して貧農は土地が小さく貧乏な農民。
村の政治は主に豪農たちが村役人として仕切っていた。
しかし中には不正を働く村役人もいた。
これに怒った貧民たちが領主に対して不正を告発したのが「村方騒動」だ。
要求内容は地味なもので、村の経費を公開するよう求めたり村役人を交代するよう求めたりすることが大半だった。
こうして、貧民でも村の政治に多少貢献することができるようになっていった。
百姓一揆は年貢減免などの訴えを幕府や将軍に持っていくわけだから、その規模が全然違うんだ。
まとめ
村方騒動は、村の役人の不正を暴く、というようなごく小規模のものだった。
たいていは村の近くの役人が調停(話し合いを仲介する人)役になって身内で解決させていたよ。