前回からは未知との遭遇、もといラクスマン来航について見てきたね。
幕府にとってロシアとの初接触となったこのラクスマン来航では、貿易交渉は失敗したものの双方得るものがあったんだったね。
今回からは日本でロシアに一番近い地域、「蝦夷地(北海道)」を探索した功労者に迫るよ。
蝦夷地探査最大の功労者。
最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵と、有名な蝦夷地探索の功労者は何人かいるけど、一番蝦夷地探索に貢献したのは、最上徳内だ。
生まれは貧しい農家だったんだけど、数奇な人生を歩むことになる。
徳内は長男にもかかわらず、家のことを弟たちに任せて勉学に励んだ。
するとある時、当時勉強を教わっていた先生から「俺の代わりに蝦夷地の探検に参加しないか?」と言われ、荷物持ちとして参加。
ちなみにこの蝦夷地探索は、田沼意次が実施したものね。
ここから徳内の激動の人生が始まるんだ。
アイヌ、ロシア人と交友関係を深めた数少ない人物
徳内は蝦夷地に行くと、蝦夷地のあちこちを探索するとともに、先住民であるアイヌと親交を深めていく。
今は北方領土と言われている、国後島や千島列島、択捉島にもアイヌに案内してもらって行くことができた。
また、択捉島に住んでいたロシア人ともアイヌを通じて友好関係を築き、ロシア事情を学んだ。
このコミュ力、とんでもない・・・。
こうして徳内は蝦夷地探索の功労者として認められることになる。
前編まとめ
奉公先で学問を教えてくれていた先生の提案から、蝦夷探索の功労者とまで言われるようになった最上徳内。
しかし徳内の激動の人生は始まったばかり。
この後彼はなんと「牢獄」に入れられることになってしまう!
一体なぜなのか・・・。この続きは後編で。