前回は「牧の方事件」による北条時政の失脚、そして義時の台頭を見てきたね。
時政とその妻・牧の方が共謀して三代将軍の源実朝を殺そうとしたんだけど、義時&政子に反対されて逆に鎌倉から追い出された、という事件だった。
ところで、まだ源実朝がどんな将軍だったのかを話してなかったよね。
実朝は鎌倉幕府の3代将軍にして、源氏の将軍としては最後。ここで途絶えてしまう。
この将軍はなんというか・・・いろいろ不幸な人だ。
詳しく見ていこう。
実朝が将軍になるまで
実朝は、頼朝と政子の次男として生まれた。長男は、2代将軍の頼家だね。
実朝が8歳の時頼朝がなくなり、10歳年上の頼家が家督を継いだ。
と思ったら翌年、頼家が急病でダウン。
ここで北条氏の策略の一つが炸裂する。
なんとまだ頼家が生きているのに「頼家死んじゃったから、かわりに実朝将軍にして~」と朝廷にお願いをしたんだ。
北条氏は、幼い実朝を将軍にして「まだ幼いから政治できないよね、代わりに私たちがやってあげる」という形で政治の実権を握ろうとしたんだ。
というわけで12歳で将軍に。ただし政治の実権は、執権である北条氏のものだった。
実朝は「あること」を悟っていた⁉
実朝が将軍になる前後では、これまで見てきたような血なまぐさい権力闘争が起きていた。
実朝の関われないところで、梶原景時、比企能員、畠山重忠…相次いで北条氏に殺されていったね。
その間、実朝は何をしていたかというと、ひたすら和歌に熱中していた。
武家の棟梁(ボス)である実朝が、武士らしいことをなんもしないで和歌に夢中になっているのをみて、御家人たちも「マジどうしちゃったんだよ…」と戸惑いを隠せない。
一方実朝は朝廷の官僚としても地位をどんどんあげていて、しまいには朝廷でも非常に地位の高い「右大臣」にまで昇進する。
将軍職などどこへやら。
ある時、大江広元から「アンタ朝廷内での昇進スピードが速すぎるんだけど、なんでそんなことしてんの?」と聞かれた。
これに対して、「どーせ源氏は俺で絶えるから、せめて今のうちに地位を上げておきたいんだよね。」と答えたらしい。
もう自分の存在がただの「お飾り」であること、いずれ北条氏が幕府のトップに立つことを悟っていたのかもしれない。
金槐和歌集は古文の授業にも
そんな源実朝が和かに熱中していたころに作った歌集が、金槐和歌集というもの。
本歌取り、という技法がこの歌集の特徴だ。
今風にいえば有名な歌のリミックスを収録したアルバムってとこかな。
古文の授業とかでもこの歌集は重要なものの一つとして教えられるはず!
実朝の暗殺
和歌に熱中し、朝廷での位を上げ続けていた実朝。
実朝には子供がおらず、代わりに亡き兄・頼家の子供・公暁(くぎょう)を自分の子としていた。
しかしこの公暁、何を思ったか実朝を「おれのとーちゃん(頼家)を殺した仇だ!」と叫び、なんと鎌倉の鶴岡八幡宮で実朝を斬り殺してしまう!実朝28歳のとき。
なんとも運命に踊らされた人生って感じだよね…。
その動機についてはハッキリわかっていなくて、「北条氏と対立していた勢力による差し金だ」とか「公暁は実朝を殺して将軍職に就きたがっていたんだ」とかいろいろ言われている。
結局公暁もすぐに追手に殺されてしまい、ここで源氏の将軍は途絶えることになる。