昭和時代

血のメーデー事件とは?吉田茂内閣の破壊活動防止法をわかりやすく。

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日本は1952年のサンフランシスコ平和条約で独立を回復したね。

吉田茂内閣の時だ。

アメリカは吉田内閣に対して「兵力」増強をさらに求めてきて、1952年には海上警備体が発足したり保安庁を設置したりと国防を強化していったんだ。

戦後の日本の占領政策は非軍事化だったから、それまでとは逆の政策ということで『逆コース』と呼ばれたわけだけど、

今回の記事はそんな中に行われた血のメーデー事件について解説するよ。

 

血のメーデー事件とは?

1952年5月1日にメーデーが行われていたんだね。

皇居前広場はメーデーに使っちゃダメだったんかけど、暴力に訴える左翼団体が皇居前広場でデモを起こして警察隊と衝突したんだ。

学生運動で初めて死者を出したという事で血のメーデー事件と名付けられているよ。

 

メーデーというのは5月1日に労働者が集まって行進をしたりして

労働者の地位を向上するように働きかけるイベントの事だね。

今の日本でも毎年5月1日になると東京で何万人もの人が労働者の権利を訴えるためにメーデーに参加しているよ。

昔みたいに学生運動とか盛んじゃないから危ない事は起きないけどね。

 

血のメーデー事件では、でもに参加した人達が暴徒化して、1,000人以上が逮捕される騒動になったんだ。

 

破壊簿活動防止法

この血のメーデー事件を受けて吉田茂内閣は「破壊活動防止法」を1952年7月に成立させるよ。

暴力的破壊活動をした団体は厳しく取り締まるぜ!

というもので、調査機関として公安調査庁が置かれたよ。

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