今回見ていくのは「満州事変」。
満州とは、現在の中国東北部の地名で、日本は満州事変をきっかけにここに満州国という傀儡国家をつくったよ。
傀儡国家と言うのは、見た目は独立しているけど、実際には他の国にから支配されている国家のことを言うよ。
満州国は現在上映されている、映画『ラストレシピ』でも取り上げられているね。
1920年代末の中国・満州の動き
1920年代末ごろから、中国では国民政府のもとで中国全土を統一しようという動きが高まりはじめていたよ。
国民政府とは、反共クーデタ(四・一二クーデタ)の結果、蒋介石によって南京に作られたものだったね。(ここで詳しくやったよ)
また、満州でも、張作霖の跡を継いだ張学良によって、
治外法権の撤廃や関税自主権の確立、鉄道権益の回収といった権益の回収をして、国権を回復しようとする動きが高まりはじめたよ。
満州は、日露戦争のあとから、日本の特殊権益地帯となっていたから、
このような国権回復運動の高まりで、日本の陸軍は危機感が高まるようになるよ。
第2次若槻礼次郎内閣の発足
1931年4月には、日本で第2次若槻礼次郎内閣が発足するよ。
第2次若槻礼次郎内閣の外相であった幣原喜重郎は、
中国政府との間の満蒙問題などについて、外交交渉を続けていたけど、交渉は思うように進まなかったようなんだ。
このような状況をみた関東軍を中心とする日本陸軍は、この幣原喜重郎の外交を「軟弱外交」と言って非難したよ。
そしてこのような状況『満蒙の危機』を打開するために、
日本陸軍内では、満州を日本の支配下におこうとする機運が高まったんだ。
満州の空気の緊迫
ここで、1931年の7~8月に、満州で地誌の調査をしていた中村震太郎大尉が中国軍隊に殺されてしまうよ。
これを『中村大尉事件』というよ。
そして同時期の1931年7月には、中国の万宝山で朝鮮人農民約200人と現地中国人が水利権・耕作権をめぐって、大衝突を起こすよ。
これを『万宝山』というよ。
この2つは満州事変勃発の原因ともいわれているよ。
短期間でこのような事件が2つも起こり、満州の空気はどんどん緊迫していくよ。
柳条湖事件の勃発
満州の空気が緊迫していく中、1931年の9月18日の夜、
奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で、満鉄線路が何者かによって爆破されるよ。
これを『柳条湖事件』と言うよ。
なんと、関東軍はこれを中国軍の仕業だと言って、軍事行動を起こして奉天・長春といった南満州の主要都市を占領してしまうんだ。
第2次若槻礼次郎内閣はこれに対して、不拡大方針を発表したけど、
関東軍はこれを無視して、どんどん占領を進めていって、
最終的に1932年の2月までにチチハル・錦秋・ハルビンなどの満州各地を占領してしまったよ。
柳条湖事件勃発から、満州各地の占領までの一連の流れを満州事変と言うんだ。
そして、日本は、清朝最後の皇帝であった溥儀を執政として、
「満州国」の建国を宣言させるよ。
この頃、日本は五・一五事件によって犬養毅内閣が倒れ、斎藤実内閣が成立。
斎藤実内閣は、軍部の圧力などによって、満州国の承認に傾いたよ。
そして満州国は1932年9月に日本政府によって承認されるんだ。