前回は、優れた歌を残したお坊さん・良寛について見てきたね。
子供たちと遊ぶ傍ら、これまでの修業のうちに培ってきた心の中を歌や書に著したんだったよね。
さて。
今回は、短歌の一種である「狂歌」について見ていくよ。
江戸時代中期から後期にかけて流行していた。
狂歌は「洒落ていて風刺的な」短歌
実は狂歌の歴史は結構古い。
古代・中世の時代からすでに狂歌っぽいのは存在していて、平安自体には狂歌という言葉も登場している。
とはいっても当時からすればほんの少し「狂歌」と呼ばれるようなものがあっただけだった。
「狂歌」というジャンルで発達し始めたのは江戸中期からで、天明年間に最盛期を迎える。
狂歌はもともとある和歌をもじって笑える歌にしたり、政治に対する皮肉や社会風刺を交えたもの。
俳句は優雅さとかが求められるのに対し、狂歌は面白さが重要視されている。
その中心人物となったのが、大田南畝(なんぽ)や石川雅望(まさもち)たちだ。
この二人については次回以降詳しく解説するよ。
狂歌の例
- 白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき
これは、松平定信が行った寛政の改革を風刺したもの。
「白河」は定信が一時期藩主だったよね。
定信はクリーンで厳しい政治を行おうとし庶民に数々の苦痛を強いた。
それに対し、「多少賄賂とかダークな部分があっても田沼意次が政治してた頃の方がよかったな~楽しかったな~」という意味が込められている。
- 名月を取ってくれろと泣く子かな それにつけても金の欲しさよ
これ、上の句(「~泣く子かな」まで)は小林一茶の名句。
それの下の句に「まあそうはいっても金が欲しいよね」というフザけた文言をつけることで、全部狂歌にしてしまうという遊び。
せっかくの名句が・・・!(笑)
まとめ
狂歌はただ面白いものだけでなく、社会風刺や皮肉が入っているのがまた違った面白さを演出している。
次回は、狂歌の黄金期を現出した狂歌師、大田南畝について見ていくよ。