享保の大飢饉によって全国でサツマイモの栽培が盛んに!?

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前回は、家光の時代に起こった「寛永の大飢饉」について見てきたね。

飢饉を起因として、幕府は政治の方針を転換するまでに至ったんだったね。

 

今回は、江戸四大飢饉の一つ、「享保の大飢饉」について見ていこう

この飢饉は前回からちょっと時代が進んで、八代将軍・徳川吉宗の時代に発生したよ。

 

享保の大飢饉は『冷夏』被害

 

享保の大飢饉が起こった原因は寛永の大飢饉とはちょっと違う。

 

「冷夏」という現象が西日本で発生したことで起こった飢饉なんだ。

 

「冷夏」は、6月から8月あたりの平均気温が例年と比べて低くなる状態のことをいう。

これの何がマズイかというと、たいていの作物は夏が温暖でないとうまく育たない。

 

江戸時代は今の農作物みたいに品種改良がされてないから気温の影響なんかをモロに受けた。

 

だから冷夏によって大飢饉が発生したんだ。

梅雨からなんと2か月間も雨が降り続いたという。

 

加えて、稲を食ってしまう害虫・ウンカも大量発生したせいで稲作に大打撃。

 

西日本の46藩がこの被害を受け、前年と比べてたった27パーセントほどしか米がとれなかったという。

餓死者は何万人も出て、死なないまでも飢えに苦しんだ人は250万人にも及んだ。

サツマイモは飢饉の救世主?

そんな中、一番被害がひどかった瀬戸内海の中である地域だけ「全く餓死者が出なかった」ところがあった。

 

それは、愛媛県の大三島という島。

 

なんでここだけ餓死者が出なかったのか。

 

それは、「サツマイモ」を栽培していたから!!

サツマイモは痩せた土地でもしっかり育つ作物で、飢饉の中にあっても栽培が可能だったんだ。

 

これを聞いた徳川吉宗は、これ以降サツマイモを全国的に栽培するように命じ、やがて東日本でもサツマイモが栽培されるようになっていったんだ。

まとめ

非常に多くの餓死者を出してしまった享保の大飢饉だけど、この大飢饉によってサツマイモが全国的に普及することになった。

これ以後は飢饉の際の食物として重宝された。

 

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