明治天皇くらいまで来ると馴染みがあるよね。
でもさ、そのお父さんの孝明天皇って知ってた?ちょうど日米和親条約~日米修好通商条約にかけて在位していたんだけども。突然、崩御したんだよね。
天皇がお亡くなりになることを崩御(ほうぎょ)って言うから覚えておきな!その孝明天皇なんだけどね、暗殺説があるんだよ!
天皇が殺された可能性があるってさ・・・結構な出来事だと思わない??
この出来事を紐解くと、当時の幕府と朝廷の関係性がわかるから非常に重要な出来事だよ。じゃあいってみようか。
孝明天皇は暗殺されたのか?
まず、孝明天皇の立場を考えてみよう。
江戸幕府の井伊直弼は、朝廷の許可も取らずに勝手に日米修好通商条約を調印したよね。違勅(いちょく)調印だったね。
それに対して、孝明天皇は・・・ブチ切れ!!最後まで日米修好通商条約は天皇の勅許がないから、認めたわけじゃないから~というスタンス。
そりゃそうだよね。勝手に条約にサインしちゃってんだもん。
それでもね、公武合体の立場を貫いていたの。
「へ?・・・なんで?勝手にサインされたのに公武合体??真性のマゾヒスト?」
なんて思うかもしれないけど、これにはいくつか理由があるんだよ。
とにかく熱心な攘夷派だったのね。外国人とっかいけよ、うぜぇなってという考え。攘夷ってのは外国人うぜぇよ、ってスタンスね。さっこく!さっこく!ね。
公武合体を進めるために、妹の和宮を14代将軍、家茂の嫁にしてるしね。天皇家と結婚しないことを降嫁っていうくらいだから、物凄い出来事よ。
それが、突然の急死!!突然の急死って言葉すごいでしょ。お腹が腹痛みたいな。
痔以外は健康体だったと言われている孝明天皇が、突然崩御したわけだから、幕府側としてはかなりの痛手よ。長州潰そうとしている時に、崩御されるわけだから。
討幕を目論む人たちにとってはあまりにもナイスタイミング過ぎて暗殺説が一躍有名になったわけね。
岩倉具視が疑われているんだよね。幕府を倒して王政復古を狙っていたらから、朝廷と幕府が仲良くされちゃ困るし。いやー面白いね。しかも孝明天皇は天然痘(てんのうとう)で亡くなったということになっているけど、急死はしない病気なの。
で、物凄い苦しみながら崩御したってことから、ヒ素による毒殺なんじゃないかって言われているのね。
孝明天皇の主治医の日記もかなり後に公開されてて、「急性毒物中毒の症状だ」って書かれていたらしいしね。
さて、これで良くわかったでしょう。
孝明天皇の死は、公武合体の力を急速に弱め、江戸幕府にとっての痛手となったわけだ。明治時代の幕開けは孝明天皇の死によって始まるのだ。