明治時代

甲午農民戦争(東学党の乱)をわかりやすく。日清戦争勃発のお知らせ。

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さて1884年の甲申事変以降、親日派・改革派は朝鮮から一掃されてしまいましたね。

壬午軍乱前は日本よりだった閔妃も清にべったりになりますし、よもや朝鮮では日本ってのは鬱陶しい存在くらいになってたわけだ。防穀令なんて出して日本への穀物輸出禁止までしちゃうからね。

そもそもこの時期の朝鮮なんてのは全然近代化していないからさ、クーデター、暴動なんてのは当たり前だからね?今の俺らの感覚で歴史を理解しようとしちゃダメだよ。

 

そんな中起こったのが甲午農民戦争。これがきっかけで日本と清は戦争に突入していくわけ。

甲午農民戦争とは?

1884年に東学党という宗教集団がいたのね。

いつだって宗教ってのはグループになって、何かやろうとするよね。

東学ってのは朝鮮オリジナルの民衆宗教でね。激しい排斥主義なの。排斥って何?追い出すって意味ね。日本人や西洋人はダメー!NG-!ということですね。

西洋って西学でしょ?俺らは東学!という考えね。

この東学党は特に日本のことを嫌っていた。冒頭にも少し話した防穀令が大きな引き金。穀物を日本に輸出する禁止令を出したんだけど、日本はブチ切れてすぐに防穀令を解除させたわけ。

こりゃ朝鮮人は怒るよねー。

だから農民軍を率いて大反乱を起こしてしまって、『減税!減税!排日!排日!』と暴れたわけ。

清国は慌てて軍隊を送って、日本も負けじと軍隊を出動させたよ。

 

でもここで問題が起きる。

日本:『朝鮮暴れまくっていますし、日本と清の両国で朝鮮の内政改革をした方がいいんじゃね?』

清:『何いってんの。そんなの無理。』

と拒否。

よっしゃー!!!戦争じゃー!!!

ということで日清戦争が始まっていったわけだね。だから甲午農民戦争ってのは日清戦争のきっかけとして広く覚えられているんだよ。

日本としては肩をならしまくってただろうね。

条約改正のところで覚えている人いるかな?

ちょうど同じ年の1894年に日本はイギリスと日英通商航海条約を青木周蔵が結んでいてね。イギリス様が日本の清に対する戦争に関して、非常に好意的な態度をとっていたんだよ。

『いいよいいよ、好きにやりなさい。』

ってね。それで日本は海戦を決意したわけ。

 

難関大を目指している人は、第二次伊藤内閣、陸奥宗光外相の時!って覚えていると良いね。

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