江戸時代

近藤重蔵は「大日本恵登呂府」の柱を立てた!

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前回まで2回に分けて、蝦夷マスター:最上徳内について見てきたね。

 

何度も蝦夷に足を運び、アイヌとの交遊も深かった、まさに蝦夷に生きた男だったね。

 

今回は、蝦夷探検で有名な3人のうちの1人、近藤重蔵について見ていくよ。

 

幼少のころは神童と呼ばれ、成績も超優秀

 

近藤重蔵は、小さいころから「神童(信じられない能力を幼少のころからあらわす人のこと)」と呼ばれていた。

成長してもその優秀さは変わらず、17歳で「白山義学」という私塾を作ってしまう。17歳だよ!?

 

その後、松平定信の時代に行われた官僚になるための試験で、最優秀成績で合格する。

その後は英知を生かしてどんどん出世していく。

 

1798年には自ら蝦夷地調査の意見書を幕府に提出してこれが認められる。

全部で4回蝦夷地に赴いているんだけど、この蝦夷調査には、あの最上徳内も参加していた。

 

択捉島に「領土宣言」の柱をたてる!

重蔵は徳内らとともに千島列島や択捉島に探検しに行った。

 

中でも一番の功績は、択捉島に「大日本恵登呂府」と書かれた「ここは日本の領土だぞ!」と示す柱を立てることに成功したこと。

またこのほか、蝦夷の更なる開拓や調査を行った。

 

江戸に帰ってからは将軍らに蝦夷の地域の中でも「札幌開拓した方がいいですよ」と意見を伝え、のち札幌が開拓されていく。

 

まとめ

近藤重蔵は非常に優れた頭脳の持ち主で、蝦夷開拓をさらに推し進めたんだね。

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