前回見た「百万町歩開墾計画」と「三世一身の法」は、上手く機能しなかったね。(詳しくはhttps://jahistory.com/hyakuman-tyoubu-kaikon-keikaku/)
上手くいかなかった原因は、「いくら開墾しても、結局いつかは国に没収されちゃう」という部分が国民のモチベーションを下げていたこと。
まあ公地公民制を敷いていた古代日本では、当然いつかは国のモノにしないと根本から覆ってしまうからね。しょうがない。
・・・ところが。
増え続ける人口と、それにつれて年々深刻になってくる食糧問題。
流石に対策しないと大変なことになると思った政府は、超大胆な政策を打ち出すことにした。
それが今回見ていく墾田永年私財法(こんでん えいねん しざいのほう)だ
墾田永年私財法とは
冒頭でも言ったように、政府は「食糧問題を解決するためには、なんとしても国民に田んぼを作ってもらわなきゃ」と躍起になっていた。
だけど、公地公民制だから国民のモチベはあがらない。
というわけで、行き詰ってしまった開墾計画を変えるべく、政府は究極の手段を使うことにした。
それは「国民が開墾した田んぼは、永久にその国民のモノとする」という法を出すこと。
これが墾田永年私財法だ。
まあ状況的に、開墾した田んぼの私有をOKしないとみんな田んぼ作ってくれないから、墾田永年私財法の施行はしょうがない部分もあるよね。
だけどさ、田んぼの私有化を認めると「公地公民制」と矛盾が起きちゃうよね。
律令制の根本である公地公民制が崩壊するということは、律令制が崩壊することにもつながってしまう。
当時の政府は律令制が崩壊する可能性を分かっていたのかどうか・・・。
墾田永年私財法はまさに“パンドラの箱”だったわけだ。
墾田永年私財法の影響
墾田永年私財法が出されたことによる一番の影響は、なんと言っても「荘園の出現」。
墾田永年私財法によって、裕福な貴族やお寺・神社が沸き立った。
これまで貴族たちは「お金をかけて灌漑設備・田んぼを作っても、いずれ国に持ってかれてしまうから無駄」と考えていたんだけど、それがずっと自分のものになるなら利益になる。
というわけで、貴族や寺社はこぞって田んぼ開発を始める。
これが初期荘園と呼ばれるものだ。
政府としては、「食糧危機を避けるため、新しい田んぼを作ってほしい」という目的が達成されるわけだし、貴族側からすれば「より多くの作物を自分の財産にできるぜ!」というわけでWIN-WINだ。
ただポイントは、さっきも言った通り“私有できるとは言っても税はかかる”ということ。
貴族や寺社からすればやっぱり税は払いたくない。自分の利益減っちゃうしね。
だから官僚と仲良くして特別に「キミんとこの田んぼには税かけないであげるよ!」という許可を取り付けたりする連中が現れたりするようになった。
これが横行するようになると、当然政府は田んぼから税を取ることができなくなるよね。
そうすれば政府が立ち行かなくなるのは火を見るより明らかだ。
こういった「税逃れ」をする輩が増えてきたことが律令制崩壊の一因になっていくんだ。
ちなみに・・・荘園は、貴族たちの税逃れの動きがいくつかあったのち、最終的に「寄進地系荘園」が誕生することになる。
これについては平安時代に入ったらまた詳しく見ていくよ。