国風文化期の文学は、前回見た「物語」だけじゃない。
「日記」と言われるジャンルが目覚ましい発展を遂げ、さらには「随筆」ジャンルも誕生した。
日記文学は「日記」といっても、モノによっては出来事を書き記すだけじゃなくて、「過去に起きた出来事を日記風にして振り返る」という表現方法をとった作品もあったりして奥が深い。
随筆は、かの有名な清少納言の『枕草子』が登場する。
これは日本の文学史上最高の随筆の一つとされている大傑作だ。
それじゃあ、詳しく掘り下げていくよ。
日記文学の始まりは『土佐日記』
平安時代の日記文学で、まず何としても知っておきたいのは『土佐日記』だね。
日記文学の原点と言える作品で、のちの日記に大きな影響を与えた。
『土佐日記』の内容自体は、旅行記(紀行文とも)のようなもので、旅の様子を日記形式で書いたものになる。
当時、この作品の著者は土佐国(現在の高知県)の国司として赴任してたんだけど、『土佐日記』はそこから京都に帰るまでの道のりを著したもの。
この『土佐日記』の特徴について見ていこうか。
またこの作品は、平安時代を代表する歌人のひとりである“紀貫之(男)が仮名で”執筆したもの。
ココが物凄く重要なポイントだ。
平安時代では、仮名文字(ひらがな)は「女性の使う文字」「私的な場で使う文字」とされていて、「男性」や「お堅い場(朝廷内の公式文書とか)」では漢字を用いることが通例だった。
そんな当時の状況下で、紀貫之は男性であるにも関わらず“あえて”ひらがなを使い、あくまで女性という体で『土佐日記』を描いているというのが非常に斬新なわけだ。
(女性への仮託、って言葉で国語の教科書では説明されてるね。)
なんで紀貫之は女性になりすまして書いたのか・・・については、研究者の間でも諸説あるみたいなんだけど、
一例を挙げると「紀貫之は歌人だったからじゃないか」という考え方がある。
さっき言ったように平安時代は「公式な場・男性は漢字」「私的な場・女性はひらがな」という慣習があったけど、
和歌は別で男性だろうと女性だろうとひらがなを使っていた。
紀貫之は平安時代を代表する歌人でもあったから、ひらがなを使うことが彼にとって一番表現しやすかったのではないか、と言われている。
『土佐日記』以後の代表的な日記文学
『土佐日記』が“女性が書いた”という体にしたことで、本当の女性たちが日記文学界に参戦する敷居が低くなった。
結果、女性著者による日記文学が多く出現するようになる。
女性が著した日記で最も代表的なのは、
『蜻蛉日記』
『紫式部日記』
『更級日記』
などがある。
他にもあるんだけど、特にこの3つが有名かな。
蜻蛉(かげろう)日記
これは、藤原兼家という人の奥さんである「藤原道綱母」が著者の作品。
内容は、藤原道綱母の夫・兼家との結婚生活を日記風に描いたものとして知られる。
といっても幸せMAXのラブラブ結婚生活・・・を描いたものではなくて。
兼家が次々妾やら妻やらを作ってしまうので、それに対してやきもきする気持ち・そういった女性と争ってしまう気持ち
一方で自分の子である道綱に対する愛情なども記されていて、すごく人間味のある中身になっている。
まあでも全体的に見ると兼家との結婚生活の不満や恨みみたいなのが多い作品かな(笑)。
研究によると、この『蜻蛉日記』も後の日記作品や『源氏物語』に大きな影響を与えたらしい。
紫式部日記
これはタイトル通り、紫式部が自分の朝廷内での生活を日記としてまとめたもの。
この日記で特徴的なのは、なんと言っても紫式部のエグい悪口祭り。
当時紫式部の後輩にあたる女性には、和泉式部とか清少納言とか後に素晴らしい文学作品を描く人たちがいたんだけど、
なんと紫式部、和泉式部については「あの娘頭はいいんだけど、ちょっと尻軽女すぎるわ」と評したり
清少納言に至っては「なんなのあの生意気なクソ女は。学がない癖に知識人ぶっちゃって。いやらしいわぁ!」とボロクソに書いている。
(これ、誇張表現じゃなくてホントにこのレベルの悪口言ってる)
かつて、僕の紫式部の(勝手な)イメージは“『源氏物語』を著した才色兼備でおしとやかな女性”・・・って感じだったんだけど、少なくとも内面はおしとやかじゃなかったみたいだね・・・(笑)
更級(さらしな)日記
『更級日記』は、菅原孝標女という人物によって著された日記。
『蜻蛉日記』とも共通するんだけど、この『更級日記』では著者である菅原孝標女のほぼ一生という長い期間にわたって記述があるというのが特徴的。
『源氏物語』にハマって読み漁っていた夢見る少女時代から、結婚や夫の死など現実を突き付けられ大人になっていき、子供が巣立ち孤独を感じながら次第に仏教に傾倒していく・・・という内容だ。
なんか『蜻蛉日記』と似てる部分が結構あるよね。
ただ、『蜻蛉日記』はどちらかというと著者の“現実見てる感”が強くて、『更級日記』の方は現実を見つつも菅原孝標女の“夢見る乙女感”がちょくちょく残ってるという違いがあったりする。
清少納言の随筆『枕草子』
「随筆」というとなんか堅苦しくてイメージしづらいけど、これは「エッセイ」のことだ。
自分が経験・体験したことと、それについての感想や考察なんかを書く文学作品のことだね。
清少納言が著したとされる『枕草子』は、日本で最初のエッセイ。
この『枕草子』は、日本三大随筆とも言われるほどの傑作として評価されている。最初にして、最高峰ってわけだね。
じゃあなんでそんなに『枕草子』が評価されてるのか、って話だよね。
試しに『枕草子』の一部を引用してみようか。
うつくしきもの。
瓜に書きたる児の顏。雀の子の、鼠なきするに、をどりくる。二つ三つばかりなる児の、急ぎて這ひくる道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。
頭は尼そぎなる児の、目に髮のおほへるを、かきはやらで、うち傾きて、物など見たるも、うつくし。
大きにはあらぬ殿上童の、装束きたてられて歩くも、うつくし。
をかしげなる児の、あからさまに抱きて遊ばしうつくしむ程に、かいつきて寝たる、いとらうたし。
訳:
かわいらしいものといえば、
ウリに描いた子どもの顔や、チュッチュッとネズミの鳴き真似をすると跳ねて寄ってくるスズメとか。
2、3歳くらいの子どもが、急いでハイハイしてくる途中に、すごくちっちゃなゴミがあったのを見つけて、かわいらしい指でつまんで、大人などに見せている、そんな仕草もいいよね。
おかっぱ頭の子どもが、目に髪がかかっているのにかき上げもせず、ちょっと首をかしげて物を見ているのもかわいい。
まだまだ大人とは言えないような貴族の子が、立派な衣装を着せられて歩いてる姿も、なんだかかわいらしい。
かわいい赤ちゃんが、少し抱っこしてあやしているうちに、抱きついたまま寝ちゃったとこなんか、キュンキュンしちゃうわね。
とまあこんな感じ。
「ああ~、確かにそれカワイイわ!」と思わず言っちゃうよね。
僕は特に「頭は尼そぎなる児の、目に髮のおほへるを、かきはやらで、うち傾きて、物など見たるも、うつくし。」っての、好きだなあ。
こういう風に、普通なかなか思いつかない・気づかないような物事を、清少納言は鋭い観察眼と明快な文章で書いている。
これが『枕草子』のすばらしさだね。
余談:「をかし」と「もののあはれ」
清少納言の『枕草子』は、“あはれ”の文学である『源氏物語』と対比して、“をかし”の文学とか言われたりする。
“をかし”の文学ってのは、「物事を鋭い観察眼でとらえ、それを客観的に巧みな文章で書く美しさ」を持った文学のこと。
凄く表現しづらいんだけど、例えばロックバンドとかポップスとかの曲聴いてて
「あ、こんな言い回しできるんだすげぇな」とか「これをこんな風に表現しちゃうの!?」って感心する感覚に近いかな。
対して『源氏物語』は“あはれ(もののあはれ)”の文学と言われるけど、
これは「人生の中で起きる物事に対して感じる、しみじみとした感情」をテーマとして、文学作品で表現したもの。
身も蓋もない言い方だけど、一言でいうなら“あはれ”は「エモい」という言葉で表現できるかも(笑)。
もうちょい正確にいうと、「世の中に永遠なんてものはなくて、形あるものはいつか壊れ、生を受けたものはいつか死を迎える・・・」という、虚しいようでもあり美しいようでもあるように感じる、そんな感覚が“もののあはれ”。(難しい言葉で無常観)
(僕の好きなロックバンドにUVERworldというバンドがいるんだけど、その中で『七日目の決意』って曲がある。
何となく、この歌は“もののあはれ”的な無常観が少し感じられる・・・気がする。
もし“もののあはれ”的な感覚が分からないなら、聴いてみるとイメージの助けになるかもしれない。)