享保の改革シリーズもいよいよ大詰めだ。
今回見ていくのは、享保の改革で設置された「目安箱」と、これがうまく機能した一例についてだ!
目安箱ってなにさ?
目安箱は、吉宗が設置した「将軍と庶民のホットライン」。
通常は将軍様に直接会える人は本当にごくごく僅か。
めちゃめちゃ将軍に近い人じゃないと将軍の前に行くことすらできない。
そんな中で庶民が直接将軍に意見できるこの箱の設置は、非常に大きい意味があったんだ。
目安箱へ投票するにはいくつかルールが設けられていた。
内容は、以下の二つだけ認められていた。
- 政治に役立つ意見
- 役人の悪事・不正の通報
ただの悪口なんかはダメで、ちゃんと理由がないといけない。
さらに、
- 実名と住所を明記
というルールもあった。
これはなかなか強烈。
「将軍のアホ!」なんて書いたら処されかねない。
将軍に訴えを出すには、それ相応の責任や覚悟が必要だったんだ。
目安箱から生まれた「小石川養生所」
目安箱は実名・住所が必要だったにもかかわらず毎回多数の意見が寄せられた。
将軍側としても単なるイメージアップで設置したのではなくて、真面目に参考にしていた。
そんな中で、ある江戸の町医師から投書があった。
このお医者さんこそ、「赤ひげ先生」として知られていた小川笙船(しょうせん)。
笙船は、「貧困にあえぐ庶民たちは看護してくれる者もおらず非常に苦しんでいる。貧民に対して病院を作ってはくれないだろうか」と将軍にお願いした。
これを見た吉宗はさっそく笙船を評定所に呼び、詳しい話をさせた。
吉宗はこの訴えを聞き入れ、小石川に養生所を作るように命じた。
小石川養生所は当初看護してくれる人のいない貧しい庶民のみを入院させていたけれど、次第に看護してくれる人がいても貧民であれば入院できるようになった。
費用は全部幕府もちだから、貧民であっても無料で医療が受けられる施設だった。
小石川養生所は、その後140年余りずっと江戸の貧困な庶民を救い続けた。
まとめ
目安箱の設置で、将軍のもとには様々な要望、果ては将軍の政策批判までいろんな意見が届くようになった。
小石川養生所のように実際に改善されるものも多く、とてもいい制度だったといわれている。
ちなみに、小石川養生所の設立を担当したのは、享保の改革の「足高の制」によって登用されていた大岡忠相。
アツいねぇ。