明治時代

大久保利通は紀尾井坂の変で石川県士族に殺される。

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士族反乱を抑えたのは大久保利通だね。

大久保利通は薩摩出身で、実は西郷隆盛とも同郷だったころから仲良しだったんだよ。

そんな仲良しだった西郷隆盛が下野して、西南戦争で戦うことになった大久保利通の気持ちはどんなものだったんだろうね。

明治六年の政変以降はこの大久保利通が政権を握るけど、この紀尾井坂の変で終わることになる。

紀尾井坂の変とは

1878年5月14日

東京の紀尾井坂で石川県士族らが大久保利通を暗殺した事件

中心人物は石川県士族の島田一郎。

島田一郎は第一次長州征伐にも参加、戊辰戦争でも戦っている。つまり西郷隆盛へ絶対的な信頼を置いていた人物なわけだ。

西南戦争で大久保利通が政府軍として鎮圧したことで、西郷隆盛は自害したよね。

だから島田一郎は大久保利通に対して恨みを持っていたのね。

また一部の官が政治を独占している!という不満ももちろん士族にあったんだよ。自分たちにとって不利な政策をどんどん推し進めているから、政治は腐りきっている!としていたわけだね。

 

明治六年の政変以降、大久保政権を言われていたけど実際はたったの5年間しか続かなかったわけだ。

これ以降は伊藤博文が政権を担当するよ。

紀尾井坂の変は泣けるお話

こっからはエピソードして聞いてよ。

不平士族は自分たちにとって不利な政策を明治政府が次々と打ち出すから、

官の人間私腹を肥やしている

と思っていたんだよね。世間の人々も大久保利通が暗殺されたことによって、いったいどれだけの遺産を残したいたのか?と期待していたのね。
でも、実際は8,000円の借金があったの。

当時の1,000円の借金っていったら相当な額で、8,000円ともなると大借金なのよ。

大久保利通が私服を肥やしていることなんて全然なくて、公私混同はまったくしないクリーンな政治家だったの。しかも自分の私財を政治に使っちゃうくらい日本の未来を思っていたんだよね。

 

大久保利通は殺される前に、政権を伊藤博文に渡して自分自身は宮内の周りの仕事をしようと思っていたことを、

石川県士族は聞いて涙を流したらしいよ。

 

マジ泣けるよね。

大久保利通の8,000円の借金を、大久保利通の家族に残すのは忍びない!

ってことで、明治政府は借金8,000円を国で支払ったんだよ。これも泣けるよね。

現代にもこんな政治家がいてほしいよ。

 

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