前回は、紫衣事件について見てきたね。
ざっとおさらいすると、「お坊さんに与えられた紫衣(権威の象徴みたいなもの)を、沢庵さんをはじめに全部没収!」ってやつだったね。
ここで気をつけなくちゃいけないのはこの事件の具体的な内容じゃなくて、「朝廷より幕府のほうが力は上だぞ!」ってのを世に知らしめたこと。
これで朝廷の統制は完成して、幕末まで続いていくよ。
さて、今回は内容がガラッと変わって、キリスト教がらみの「禁教令」についてだ!
この法令の具体的な内容はその名の通り、“キリスト教を信じちゃダメ!”ってこと。でもなんでそんな事を幕府がやるんだ・・・?
詳しく見ていこう!
禁教令はなぜ出された?
実は江戸幕府ができた最初の頃、幕府はキリスト教を黙認(公認じゃないよ!)していたんだ。・・・なんだけど、だんだん「これ放っておくとヤバいんじゃね?」って思い始めた。
そのヤバい理由の一つが、スペインやポルトガルの宣教師が布教を通じて日本を植民地にしてやろうって考えが見え隠れしていたこと。
かつてヨーロッパでは[侵略したい国にキリスト教を布教して国民をキリスト教信者にする→キリスト教徒になった国民が離れていき国がバラバラになる→侵略する]ってな感じで数々の国を植民地にしてきた前例があったんだ。
もう一つは、キリスト教信者たちが団結して、幕府に反乱を起こされるかもしれないこと。どういうことかというと、例えば好きなアーティストが同じな友達がいるとする。そしたらその話題で盛り上がるしもっと仲良くなるよね。
この例と宗教の団結は、内容も質も全然違うけど、信者同士が団結するってのはこんなイメージを持っておくといいかも。
元和の大殉教
で、禁教令を出した後は結構強くこの法令を推し進めて、キリスト教徒を迫害していったわけだ。まずキリシタン大名(キリスト教徒の大名)、高山右近を含む約300人をマニラとマカオに国外追放した。
そして強烈なのが、1622年に長崎で55人の宣教師と信者を処刑した元和の大殉教という事件。首を刎ねたり、火あぶりにしたり・・・これは酷い・・・。
これを機にキリスト教徒をやめる人は結構多かったけど、中には最後まで信念を曲げず処刑されちゃった人もいれば、隠れて信じ続ける「隠れキリシタン」と呼ばれる人もいたよ。
だけど、幕府が恐れていた「信者が団結して幕府に反乱する」事件が起きちゃうんですねー、これが。
この話は次回!