いくやまいまいおやいかさかさ・・・
これマジ重要だからな!伊藤博文が初代内閣総理大事にになる前に、歴代内閣の覚え方を教えたけども。まだ覚えていない人は一刻も早く覚えるべき!
なぜなら、どの内閣の時に何をしたのか、何が起きたのか?ってのは難関大学の問題に出されるから。俺も1914年の時の総理大臣がわからないと解けない問題ってのが早稲田の入試で出されたよ。完璧に覚えていたから、大丈夫だったけどもね。
だから、絶対に覚えて頭の中で唱えながら、見ていかないとダメだよ。
今日は憲政党の結成について。
憲政党とは?
憲政党は1898年に結成されたんだけど、経緯としてはね・・・
第三次伊藤内閣の時に自由党と進歩党が地租増微案に反対して議会を解散に追い込んだわけよ。この両党が結託して憲政党を結成したのね。そうすりゃ、議会で過半数獲得できるでしょ?
目論見通り、来るべき総選挙で衆議院の絶対多数を取りましたよ、憲政党は。
その結果、伊藤内閣が退陣して、大隈重信と板垣退助が組閣を元老から命ぜられて、大隈重信が首相になるわけ。これが第1次大隈内閣ね。
大隈内閣の特長として絶対に覚えないといけないのが、大隈重信が首相で板垣退助が内相でしょ?だから隈板内閣って呼ばれているんだけど・・・
すごいのが陸相・海相以外はすべて憲政党員から構成されてちあのね。
だから、日本で最初の政党内閣を組織したわけ!ここは絶対に覚えないといけないよね~
・・・・わずか4ヶ月で終わったけどね( ^ω^)!!!!
自由党と進歩党が仲良くして第三次伊藤内閣を退陣させるに至ったのに、本当は自由党と進歩党は仲が悪かったわけよ。根っこのところでは考え方が違ったわけね。
この時、星亨が暗躍して憲政党を解散させたのね。
星亨は旧自由党系を引き連れて、憲政党の名前を引き継いで、旧進歩党系の人たちは憲政本党をつくったわけさ。