勝海舟に関してはさ、話したいことが山ほどあるんだけどもちゃんと順を追って話するよ。
俺がただの歴史好きマニアだったら、ここで勝海舟の生涯とか語っちゃうだけどさ、違うよ違うよ。日米修好通商条約後の日本がどうなったのか?
ってのが重要なわけじゃん。だから勝海舟について色々話したいんだけど、遣米使節についてだけお話しするな。
勝海舟は遣米使節
前回のおさらいだ。
1840年にアヘン戦争が起きて、「やべぇ、外国が攻めてくる」ってことから、海防掛を作ったうけだ。
1858年日米修好通商条約を結んだ際に、外国奉行に変わるわけ。日本の急務は諸外国に追いつくこと!なわけじゃん。ずっと鎖国しててあんま成長してなかったから。
そこで、1860年に万延賢米使節ってのが最初に渡米したわけね。新見正興(しんみまさおき)ってのも覚えておいた方がいいよ。
勝海舟はね。1860年に咸臨丸ってゆー、でっけー船に乗って遣米使節についていったわけ。
この咸臨丸(かんりんまる)ってのは聞いたことあるかもしれないね。
オランダから購入した船なんだけども、300tもあって、初めて太平洋を横断した船だから話題になったわけなんだわ。実際のところは、咸臨丸の司令官は木村喜毅(きむらよしたけ)で、勝海舟はあんまり活躍しなかったらしいけど。
咸臨丸に乗っていた有名な人は、福沢諭吉だったり、ジョン万次郎がいるよ。
やっぱり幕末時期は外国の知識を日本に持ってくるというのが、大事な仕事だったわけだね。
孝明天皇が熱心な攘夷派(外国人うぜぇ派)だったから、暗殺されたんじゃないか?という説はあながち間違ってないかもしれないね。
大学受験の日本史に特化して話すと、勝海舟は坂本竜馬や西郷隆盛を開眼させた人物として有名さ。
開眼ってのは眼を開かせるって意味で、才能を見出して出世させるってことだね。勝海舟は江戸無血開城だったり、明治政府でも活躍することになるから、またその時に出てきてもらうことにするよ。