1948年10月に再び政権を握った吉田茂。
第二次吉田茂内閣はインフレを克服するために経済安定九原則の実施に着手したよ。
この第二次吉田茂内閣は、「バカヤロー解散」でも有名な人でね。
その点についてもちょろっとお話するよ。
経済安定九原則の内容と目的
1948年12月にGHQが日本の経済を自立させるために指示した内容が経済安定九原則だ。
・予算の均衡
・徴税強化
・資金貸出制限
・賃金安定
・物価統制
・貿易改善
・物資割当改善
・増産
・食糧集荷改善
の9つからなっていて、この経済安定九原則を実行するためにアメリカからドッジという人が送られてきた。
戦後の日本って実はめちゃくちゃインフレになっちゃってさ。
細かい話は政治経済に譲るものとして、1949年当時の物価で1930年代と比べると220倍くらいになっていたのね。
220倍ってビビるでしょ・・・?物の価格が220倍になっちゃうんだからさ。
戦後インフレの詳しい原因について知りたい人は、『ドッジ・ラインって何?戦後に与えた影響とは』の記事を読んでね。
つまり、経済安定九原則ってのはこのインフレをおさえるための政策なんだ。
特に重要だったのが、国内経済と国際経済を結びつけることで、そのためには単一為替相場設定へ向かう事が目指されたんだね。
バカヤロー解散
第二次吉田内閣は、少数派単独内閣だったから短命に終わる事が予想されていたんだけど、
1949年1月の総選挙の結果で、民主自由党が絶対多数の議席を獲得して第三次吉田内閣が誕生。
こういった点も吉田茂の人気を表しているよね。
その後、第四次吉田内閣の時に、吉田茂が衆議院予算委員会の質疑応答中に「バカヤロー」って言っちゃって解散となるんだよね。
イメージ的に「バカヤロー!」って怒鳴ったように思えるかもしれないけど、
実際は席に戻って小さい声でバカヤローって言ったらマイクが拾っちゃったんだってw
実際は、吉田内閣の通産大臣、池田隼人が「中小企業の倒産はしょうがない」「貧乏人は麦を食え」といったような失言をしちゃってさ。
予算委員会でも野党から執拗に迫られて、イライラした吉田茂はおもわずバカヤローって言っちゃったんだね。
だからバカヤロー解散って言われているんだよ。