昭和時代

傾斜生産方式の内閣はいつ?目的をわかりやすく。

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結論から言おう!

傾斜生産方式は第一次吉田内閣で閣議決定されて、片山哲内閣の下で実行されたよ。芦田均も引き継いだ。

 

傾斜生産方式とは?

傾斜とは傾いているって意味だよね?

傾斜生産方式ってのは特定の分野の生産んい超重点的に資材や資金を投入して生産しましょうね!

という方針。

有村広巳という東大経済学者の提唱で採用されたんだ。

 

GHQに認められた輸入の重油を使って、鉄鋼生産を行いまくってさ

増産された鋼材を今度は炭鉱に投入して、そこで増産された石炭を今度は鉄鋼業にまわして・・・

といった具合で石炭・鉄鋼に超重点的に資金や資材を投入したんだね。

 

1947年に復興金融金庫(復金)が石橋湛山の案で作られてさ、この復金から資金をとにかく鉄鋼や石炭に回したの。

石橋湛山は『設備や人が余っているならば、大胆に資金を散布して生産を刺激すべき』と発言していて、

国立銀行の一種として、この復興金融金庫を作ったのさ。

 

傾斜生産方式を実行した片山哲や何よりも復金の融資を鉄鋼や石炭にまわさせたね。

さらに48年に政権を引き継いだ芦田均内閣でも傾斜生産方式は続いたよ。

 

 

結果としては、石炭や鉄鋼の供給は増えたんだけど

生活物資は増えなくて、インフレを引き起こしてしまった。復金インフレとも呼ばれていて、

後のドッジラインと共に傾斜生産方式は転換を迎えることになる。

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