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加藤友三郎内閣での名言がワシントン海軍軍縮会議で出る!

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国民の期待を背負って初の政党内閣を組閣した原敬内閣は1920年の恐慌で追いつめられる。

普通選挙は時期尚早として反対した原敬は暗殺されてしまう。

その後高橋是清が総理になるも、立憲政友会の内部対立でわずか半年で総辞職。

その後、総理になるのは加藤友三郎さ!

 

大学受験の日本史では正直、加藤友三郎内閣は影が薄いんだけども、

ワシントン海軍軍縮会議とシベリア撤退の2つは覚えておきたいね。

 

加藤友三郎内閣が行ったこと

1922年2月にアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの5か国が調印したのがワシントン海軍軍縮条約だね。

この時が加藤友三郎内閣さ。

・今後10年間主力艦の建造をしないこと
・主力艦保有量の制限

を約束したんだけども、『なんで軍縮なんてするのさ!?』と疑問に思うかもしれないね。

当時、日本はイギリスとアメリカの海軍拡張のなみについていけないくらい巨額の軍事費の支出がかかっていてね。

さすがにこれ以上軍事費にお金使うのヤバい!って状況だったの。軍事費を抑制しなきゃいけなかったわけだね。

だからアメリカやイギリスと協調する協調外交の姿勢を取っていたのさ。

 

ここで加藤友三郎の名言が出るよ。教科書にも載っているはずからチェックしてみて。

『国防は軍人の保有物あらず』

と発言したんだね。

加藤友三郎は107年の海軍時代に八・八艦隊計画を推進していたんだけども、これがまた国の財政の3割くらいかかっていたわけ。

何年にもわたる壮大な計画だったんだけども、国の財政の事を考えれば軍縮が正しくて八・八艦隊計画も諦めないといけないよね。

と。国内での反対を押し切って、軍縮に進んだ国想いな人だ。

 

シベリアの撤退も宣言して、中国に関しては山東省の権益を中国に戻したりと、

アメリカ・イギリスと協調
中国から少し手を引く

といったワシントン体制につながっていくわけだね。

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