さて、今回からガラッと内容が変わって、宝暦・天明期の文学や芸能について見ていくよ。
今回紹介するのは、「貸本屋」。要するにTUTAYAみたいなもんだね。
貸本屋はなぜ誕生したの?
宝暦・天明文化の時代では、「紙」自体は庶民でもお手軽に手に入れられるほどのモノだった。
たいして高価なものではなかったんだ。
いちおうティッシュペーパーみたいなものもあったしね。(今のスコッティレベルの柔らかさはないけど(笑))
しかしこれが本となると話は変わってくる。
当時の印刷技術はまだまだ発展途上で、木版画や手書きによって少数出版されることがほとんどだった。
数が少ないから人気の本は高くなる。
そうすると、庶民はなかなか買えない。
そこで、「貸本屋」の出番というわけだ。
貸本屋のシステムって?
貸本屋の基本的なシステムは今のTUTAYAやGEOと何ら変わらない。
貸すときに「見料(けんりょう)」というレンタル代を払って本を借りることができる。
見料は高くなく、一週間強借りることができて、庶民の娯楽の一つになったといわれている。
貸し出されていたのは、幼児向けの絵本である「草双紙」、一種の官能小説である「洒落本」や、風刺小説である「黄表紙」などが多かった。
まとめ
貸本屋は江戸後期から大きく発展し、全盛期では江戸に656軒・大坂には300軒あったとも言われている。
まさに今のレンタルDVD屋の先駆けとなる存在だったんだ。