前回まで、俳句と川柳の違いについて見てきたね。
違いをちゃんと理解できたかな?
一番の違いは連歌から分岐した部分だったよね。
平句から分岐したのが川柳だったわけだけど、今回はその創始者である柄井川柳(からいせんりゅう)について見ていこう。
柄井川柳は「前句付け」の採点者!?
柄井は、江戸浅草の名主の子として生まれた。
40歳くらいで、初めて前句付けの採点者となった。
「前句付け」ってなんだっけ!?
前句付けは、連歌から派生した遊びの一種だったね。
連歌だと、発句に続いてどんどん下の句をくっつけていくわけだけど、これを「逆に下の句を先に考えて、気の利いた上の句を作れるか勝負したら面白そうじゃね?」という発想が生まれた。
これが、前句付けだ。
しばらくして、「もはや下の句を用意する必要もなくね?上の句だけで作ればいいじゃん」となって生まれたのが川柳というわけだ。
柄井は、自分が前句付け大会で採点者をやる中で、特に面白かったものをまとめた『俳風柳多留(はいふうやなぎだる)』という本を出版。
これが大ヒットし、後に「前句付け」は「川柳」へと変わっていく。
柄井は前句付け大会の採点者として、川柳ブームの火付け役となったわけだ。
まとめ
柄井川柳が良い句を選んでまとめ、出版していた『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』は167遍も出版されることになる。
それだけ、川柳が大人気になったんだ。