明治時代

樺太千島交換条約をわかりやすく。なぜ千島なのか!地図アリ。

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領土問題は続くよ。

沖縄だけでなく、北に目を向けてみると樺太の方でもロシアがのたまっていやがるから、明治政府にとっては悩みの種なわけだ。

しかもロシアって不平等条約を結ばされた国なわけだから当時の日本にとっては強い国なわけだよね。

 

果たしてどうなる!日本の領土問題!

樺太千島交換条約をわかりやすく

樺太あげるから千島ちょうだいね!!

ってこと。ここで樺太と千島の地図を見てみようか。

karafuto
出典:もっと知ろうもっと語ろう私たちの北方領土

この地図を見てみると、樺太がでかくて、千島ってのは小さい島が散らばっているよね。

「え??これだけ樺太でかいのに・・・もったいなくなない??」

と、みんな思うでしょ。でっかい樺太を捨てて小さい千島を取ったわけだから。

これには重要な理由があるんだわ。

まず、樺太はロシアと日本人の雑居状態になっていたの。1854年の日露和親条約でロシアは

択捉島と得撫島の間が日本とロシアの国境!

としていたんだね。でも樺太については正式に決めることができなかった。

だから、それ以降樺太はロシア人と日本人が入り混じっているような状態だったわけね。

で、日本としてはロシア人が大量にいる樺太なんていらないからあげる!代わりに千島はちょうだいよ!!

って策略だったわけ。千島を手に入れたら、ロシアは太平洋に出ていくことができないからね。これがのちのちの日露戦争の時に役立つんだよねー。

 

 

これで明治政府はロシアと穏便に交渉を済ませ、領土問題は一旦落ち着くね。

この樺太を放棄しよう!と建議したのは、黒田清隆だからしっかり覚えておいてよ。岩倉使節団の時に女子留学生を建議したのも黒田清隆だったから、本当この人ってのは先見の明のある人だよね。

 

樺太千島交換条約の交渉に当たったのは榎本武揚だよ。

この榎本武揚は五稜郭の戦いで旧幕府軍で最後まで粘った人だね。黒田清隆が戊辰戦争終結後、頭をまんまるに剃って榎本武揚を生かすように懇願したあの出来事を覚えているかな?これを知っていると、この樺太千島交換条約もなんだか感動的だよね。

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