日本が太平洋戦争へと向かって行った歴史を学ぶ上で、ちょくちょく話に出てくるのが、関東軍という連中。
これまでの記事の中でも見てきた、
- 張作霖爆殺事件
- 満州事変
- ノモンハン事件
と、満州関連の重大事件に関わっていることが分かるね。
関東軍は組織上日本の陸軍組織のひとつではあるんだけど、実に特殊な部隊なんだ。
日本を日中戦争へ、そして太平洋戦争へと引っ張っていく原因一つと考えられている。
関東軍って何なの?
日露戦争が終結した際結ばれた「ポーツマス条約」で、日本は中国の「遼東半島」という地域をゲットしていたね(旅順・大連の租借ってやつだ)。https://jahistory.com/portsmouth/
遼東半島の先っちょに「関東州」ってエリアがあったんだけど、関東軍はそこの守備隊だったんだ、もともと。
普通なら処刑されていてもおかしくないのに・・・
関東軍は当初関東州の守備隊だったけど、張作霖爆殺事件をはじめとして、次々独断で勝手な行動を起こすようになる。
冒頭でも言ったように、関東軍は日本陸軍の1部隊にすぎない。
関東軍は陸軍の参謀本部っていう、陸軍のトップ組織の下にある部隊だから命令は聞かなくちゃいけないハズ。
もっと言えば、当時の日本の軍隊はすべて天皇の元にあった。
ということは、「関東軍が独断で軍事行動する」ことは参謀本部に対しても、天皇に対しても反逆行為なわけだよね。
当然反逆したら処罰されるよね。特に天皇に逆らったとなれば、当時なら死刑もあり得た。
しかし!にわかには信じられないけど、関東軍の独断行動は容認され続けてしまうんだ。
関東軍は張作霖爆殺事件を起こして満州を治めていた張作霖を殺してしまい、次いで満州事変を起こして無理やり満州国を建設してしまう。
さらにさらに、前回やったノモンハン事件では勝手にソ連と戦闘を行った挙句大きな戦力を失ってしまう結果になった。
なんで関東軍は勝手が許されていたの?
ここまで見てきて納得いかないのは、「なんで関東軍の勝手を他の人は許しちゃってんの!?」というトコロだよね。
当然、怒っている人はいた。
その筆頭は天皇。昭和天皇は、関東軍が勝手に軍を動かして満州事変を起こしたことに対してめちゃくちゃ怒った。
だけど、制度上は天皇が軍のトップになっていても実際は参謀本部など軍部が判断していて実権を持っていたから、陸軍側に「まぁまぁそう怒らずに」とうやむやにされてしまっていたんだ。
陸軍の参謀本部も関東軍の勝手に怒らなかったわけじゃないよ。
ノモンハン事件で勝手にモンゴルを空爆し始めた時は「ふざけんじゃねぇ!そんなことやれなんて言ってないだろ!?」とガチギレした。
だけど、いくら関東軍にキレたところで、勝手にドンパチ始めるのを予防することはできないわけだ。「ま~た関東軍が勝手やってます!」って報告が参謀本部に入るまでには時間かかるもんね。
関東軍が他の部隊より勝手ができたのも、司令部である参謀本部から物理的に距離が離れていたせいって面があるね。
参謀本部は関東軍を止めたくても、対応が後手後手に回ってしまうから止められない状況でもあったんだ。
日本の政府も関東軍の勝手には反対していたけれど、当時は軍部の方が政治に対する発言権も強かったために無視されてしまう。
こんな感じで、関東軍が勝手をやっても、そのブレーキになるはずの人たちに力がなかったというわけだ。
結局この関東軍の暴走は止まらず、日本は引きずられる形で日中戦争へと向かっていった。