人生においてどうにもならないことはたくさんある。
いくら個である自分ががんばったところで、全体である組織が強いてくることに逆らえないことは多くある。
個が全体に打ち勝つ物語を現代人は好むけれど、現実はとても厳しいのだ。
今回みていくのはその例。
さらっと暗記をして終わらせちゃう部分だけれど、甘粕正彦がどんな状況にあってどのような思いをしたのかを考えてみると面白いかもしれない。
それじゃあ、本題に入ろうか!
関東大震災(かんとうだいしんさい)が起こったときに総理大臣だったのは、山本権兵衛。
山本権兵衛はジーメンス事件(ここで詳しくやったよ)で覚えているかもしれないけど、一度首相になった人物ね。
第二次山本内閣が発足したのは1923年9月。
関東大震災(かんとうだいしんさい)
はいつ起こったのかというと、1923年9月1日。
だから、山本内閣の組閣最中に関東大震災が起こったんだ。
関東大震災は大きいところでは震度7、マグニチュードは7.9だったんだ。
これは東日本大震災とほぼ同じだから被害の大きさもかなりのものだった。
関東大震災の混乱の最中に不祥事が相次いで起こった。
朝鮮人が暴動を起こしたとのデマが流れて、数千人の朝鮮人と中国人が虐殺されたんだ。
「朝鮮人狩り」と称して住民で組織している自警団の手で行われたよ。
それに加えて奇妙な事件が起こったんだ。
それが甘粕事件(あまかすじけん)ね。
これは
関東大震災の混乱の最中に無政府主義者の
大杉栄(おおすぎさかえ)
と女性活動家であり、大杉栄の内縁の妻である
伊東野枝(いとうのえ)
と大杉栄の甥を甘粕正彦憲法大尉が殺害したという事件なんだ。
しかし、実際に甘粕正彦(あまかすまさひこ)が大杉栄と伊藤野枝を殺害したとは言い切れないんだ。
陸軍の命令で大杉栄と伊東野枝が何者かに殺害されて、その罪を甘粕正彦が被ったという説もあるんだ。
その事件の後、甘粕正彦は裁判で懲役10年を言い渡されたけれど、3年弱で釈放されて、陸軍の負担でフランスに留学している。
さらにどんどん出世しているから甘粕正彦が狂って犯した事件ではないんだ。