寛政の改革を分かりやすく、簡単に解説。語呂合わせも

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さあ今回から、また少し時間を進めていくよ。

 

重商主義政策を展開した田沼意次は、天明の大飢饉・江戸の打ちこわしなど数々の事件により失脚してしまった。

 

ここで登場するのが、松平定信だ。

 

寛政の改革は誰が行ったの?

寛政の改革を指揮したのは、田沼意次に代わって政治の実権を握った松平定信。

 

この松平定信というのは非常に不遇な人だった。

 

定信は幼少のころから非常に聡明で、今後の幕政にとってキーパーソンになると思われていた。

 

しかし、田沼意次が重商主義政策を行っていた真っただ中で「意次の政治は賄賂政治だ!」と訴えていたため周りからうざったく思われ始める。

 

やがて白河藩の養子とされ、長い間幕府から遠ざけられてしまう。

 

このことから定信は「あいつさえいなければもっと早く幕政に参加できたのに・・・!」意次をめっちゃ憎むことになる。

何とかして幕府に戻ろうと、なんと自ら意次に賄賂を渡していたという逸話まで残っている。

 

なんとしても幕政に参加したかったんだね・・・。

 

 

寛政の改革ダイジェスト

 

天明の打ちこわしの混乱を上手く使ってその責任を負わせ、田沼一派を幕府から追い出すことに成功。

あまりにあっけない田沼派の没落の裏では、定信がアヤシイ工作をしていたともいわれている。

 

ともあれ、ついに幕府の政治の実権を握ることになる。

 

そして定信は「寛政の改革」という江戸三大改革として名高い改革を行う。

 

 

寛政の改革の語呂合わせは、これが一番面白くて覚えやすかったかな。

インナー花柄(1787)、どんな感性(寛政)してるの?松平さん。

http://www12.plala.or.jp/rekisi/edosanndai.html

 

 

定信の行った政策は

  • 緊縮財政(増税や出費を抑えることで幕府の財政を回復する)
  • 風紀取り締まり
  • 蘭学(ヨーロッパの技術や文化を研究する学問)禁止

などなど、片っ端から田沼政治を否定していった。

 

私怨も少なからずあったんだろうね。

 

こうして数々の施策を行ったんだけど、幕府内や世間からの総じて評価は低かった。

役人だけでなく庶民にも厳しく倹約を命じたり、学問を自由にさせないといった政策をとってしまったことが反感の原因。

 

もちろんいい政策もあったんだけど、幕府内の対立だの将軍のお父さんから嫌われただので権威を失って失脚してしまった。

まとめ

田沼政治を批判したことで、幕府から長きにわたって遠ざけられてしまった松平定信。

 

もし遠ざけられることなく幕政に参加していたら、寛政の改革はもうすこし違った形になっていたのかもしれないね。

 

次回からはこの寛政の改革で行われた数々の政策を見ていくよ。

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