前回は、城郭建築の内部の壁や襖などに描かれた絵画、障壁画について見てきたね。
中でも濃絵と呼ばれるタイプの絵は、桃山文化を如実に反映した豪華なものだった。
さて、今回は桃山時代の障壁画で著名な画家・狩野永徳について見ていこう。
狩野永徳って何者?
狩野永徳は、代々画家として生計を立ててきた家系のもとに生まれた。
永徳の曽祖父の時代から、狩野家は室町幕府の御用絵師として活躍してきた。
曽祖父・狩野正信と祖父・元信によって狩野派が成立し、それを永徳の父・松栄が受け継いできていたんだ。
こんなすごい芸術家の家系だけあって、永徳も素晴らしい画家としての才能を持っていた。
永徳の描く障壁画は、信長や秀吉さえも虜にしてしまった。
信長の居城であった安土城、秀吉の聚楽第や大坂城などの障壁画を担当した。
桃山文化の障壁画は、ほぼ永徳によって成立したといっても過言ではないレベルだ。
永徳の代表作品は?
永徳が描いた障壁画は有名なものがたくさんあるんだけど、中でも「唐獅子図屏風」が最も有名だ。
歴史の資料集を開けばほぼ間違いなく掲載されている。
実際のサイズは縦2.2m・横4.5mという超ビッグサイズ。
金箔もふんだんに使われていて非常に豪華なことがわかるね。
まとめ
永徳が生み出した障壁画は、その多くが国宝として保護されている。
永徳によって狩野派は確立され、以後江戸幕府においても御用絵師として活躍していく。