前回は、国学を発展させるのに一役買った国学者荷田春満(かだのあずままろ)について見てきたね。
今回は、その春満の弟子であり同じく国学者の賀茂真淵について見ていくよ。
賀茂真淵は、契沖や春満よりもさらに復古思想が強い。より復古神道を強めていった人物だ。
古道説の提唱
賀茂真淵は、弟子から「一見するとすっごいアホっぽい顔してるんだけど、ひとたび日本のことを語らせたらマジアツイ人だったっス」と評されている。
どんな顔してんだよ!ということで画像を持ってきた。
・・・まあ、確かに(笑)
真淵は、荷田春満を師匠として万葉集の研究を行った。
そのなかで、万葉集の中に「ますらをぶり」の精神を見出す。
「ますらをぶり」とは、男性的でおおらかな歌風のことを言う。
真淵は、
「万葉集の歌のような、男らしくておおらかであること。これこそ日本人の心に根付いている精神だ!」
と言って、古道説(復古神道)を提唱した。
江戸時代主流であった朱子学のいう道徳を否定したんだ。
さらに『国意考』という本で復古思想を強く主張した。
賀茂真淵のもとには、後に著名な国学者となる本居宣長や塙保己一といった名だたる人物が弟子として入門している。
真淵も春満と同じく「国学の四大人(しうし)」と呼ばれている。
まとめ
賀茂真淵によって、国学は一気に発展を遂げ、町民たちの間で流行っていく。
一方、このころから仏教や儒教が“悪いもの”として本格的に排除され始めめた。