前回は永享の乱について説明したね。
今回は、その後も専制政治を続ける足利義教が殺されてしまった嘉吉の変について説明するよ。
嘉吉の変とは?
まず嘉吉の変について説明するよ。
足利義教は、幕府における将軍権力の強化を狙って、
将軍に服従しないものすべてを力で押さえつけようとしていたことは、前回説明したね。
義教は、永享の乱の後も力で押さえつけようとする専制政治を強行し、
1440年には有力守護である、一色義貫・土岐持頼を相次いで殺したんだ。
そこで、次の年の1441年、所領没収・家督介入などの有力守護圧迫を進める義教に対して、
危機感を持った播磨の守護である赤松満祐が、義教を自分の家に招いて殺害したんだ。
このことを嘉吉の変というよ。
義教殺害後、赤松満祐は山名氏などの幕府軍に討伐され、赤松氏は衰退していったんだ。
赤松氏だけではなく、将軍の権威も嘉吉の変以降揺らいでいくよ。
余談だけど、義教は病的ともいえるくらいに癇が強く、執念深い性格の持ち主だったから、
多くの人が義教の怒りにふれて処罰されてしまったらしいよ。
嘉吉の変の語呂合わせを紹介!
じゃあ、嘉吉の変の語呂合わせを紹介するよ。
人よ良い(1441)か、将軍殺しても。嘉吉の変
この語呂合わせなら、将軍が殺されたということも一緒に覚えられるね。
嘉吉の変の前には上杉禅秀の乱や永享の乱といった事件もあるから、
それらとごちゃまぜにならないように整理して覚えよう。