江戸時代の庶民の娯楽の一つとして挙げられるのは、歌舞伎。
今でも歌舞伎役者として市川海老蔵とか有名だよね。
そんな歌舞伎だけど、江戸時代では時代ごとに流行った歌舞伎が違うんだ。
というより、歌舞伎の種類が変遷していくなかで、現代でも上演されているような歌舞伎の形ができたんだ。
詳しく見ていこう。
歌舞伎の歴史
歌舞伎は、17世紀初頭から、女歌舞伎・若衆歌舞伎→野郎歌舞伎というふうに変遷していった。
女歌舞伎
出雲阿国(いずものおくに)という女性が始めたとされる、女性が「歌舞伎踊り」という踊りをするもの。
とはいってもこれは現在のような歌舞伎とは全く違う。
「茶屋遊び」という、キャバクラのもうちょいエッチいやつでの遊女の様子を真似て踊ったもの。
だから踊りもちょっとエッチな感じ。
これが次第に全国の遊女たちではやった。
しかも内容もどんどんエスカレートして、終いにはストリップショー&風俗みたいなとんでもない状況に。
しかし一番大きなショーでは三味線をバックに何十人もの遊女が歌舞伎踊りを踊って、なんと数万人も集客した。
エロの力、おそるべし。
三味線が歌舞伎で使われるようになったのもこれが最初だといわれている。
しかしこれは、のちに「風紀を乱す」として禁止されてしまう。
若衆(わかしゅ)歌舞伎
女歌舞伎よりちょっと遅れて、この若衆歌舞伎も盛り上がった。
12歳~17歳くらいの少年が演じる歌舞伎。
・・・と言えば聞こえはいいけど、実態は女歌舞伎とあんまり変わらない。
というか、むしろもうちょいヤバい。
男色、という言葉を知っているだろうか。
そう、男同士の性愛のこと。
女歌舞伎の美少年版も売れるんじゃね?という考えから生まれたもの。
美少年を使って女歌舞伎のようなことをやったんだ。
実際結構人気になった。
まあこれも当然アウト判定。
野郎歌舞伎
で、元禄時代になったあたりでついに成人男子だけで行い、「演劇」と言えるようになってきた。
これは野郎歌舞伎と呼ばれる。
市川團十郎や坂田藤十郎など、歌舞伎界での名俳優が続々誕生した。
また、女形と呼ばれる、男が女の役をやるという難しい芸をこなした芳沢あやめという役者も登場した。
この時代に歌舞伎は大きく発展する。
まとめ
歌舞伎の始まりのほうは、まあ不純な感じだったけど、元禄時代に入って演劇として花開いたんだ。
今の歌舞伎で女性が出ていないのは、こういった歴史があったからなんだ。