次は第二議会。
第一議会 → 第一次山縣内閣
第二議会 → 第一次松方内閣
このあたりを整理できながら暗記していくとマジ強いよね。第二議会=第一次松方内閣の目玉は樺山資紀の蛮勇演説だぜ!!
第二議会について
第一議会は山縣有朋の第一次山縣内閣だよね。
民党のやつらを買収してなんとか、予算案を通したんだけども「政費削減」の実施を受け入れざるを得なかったわけ。
『もう俺・・・自信ないわ・・・』
って山縣有朋は議会終了後に辞表を提出しちゃうんだわさ。
そこで、次にやってきたのが松方正義、第二議会を務める形になる。
期間は1891年5月~1892年8月と短命。
松方正義が第二議会を務めた時に、不運にも「大津事件」が起きちゃうんだよね!
大津事件ってのは、大津三蔵がロシアの皇太子ニコライを切り付けちゃった事件だね。
そのせいで、第一次松方内閣の大臣たちは次々と引責辞任をしていくの。
『松方くん、総理大臣やらない?第二議会で』
『やだやだやだやだー自信ないー!知っている人がみんなで閣僚務めてくれるなら、やるー!!』
って言って、総理大臣を務めた松方正義にとっては、結構ショッキングな出来事だったろうね。
さて、ここで第一議会で辞表出して辞めた山縣有朋思い出して。
なんとか、予算案を通したけど、「政費削減」を約束しちゃったんだよね。うんうん。
第二議会の松方正義は、なかなかこの「政費削減」に手をつけれてなかったの。そこで民党にボッコボコに非難されるのね。これで松方正義は衆議院の解散を決意するに至るワケ。
その解散のきっかけともなったのが蛮勇演説。
樺山資紀の蛮勇演説
樺山資紀(かばやますけのり)って人物が第一次松方内閣=第二議会での重要人物ね。
樺山資紀は山縣・松方内閣で海相を務めた人物。
1891年12月に民党の政費削減要求に対して、
『うるせー!ひっこんでろ!!誰のおかげで日本がこんなに豊かになったと思ってんだ!薩長だろ!薩長!さっちょう!』
と蛮勇演説した人物なんだわ。
松方正義が議会に提出した予算案では、第一議会で政費削減します!って約束したにもかかわらず、
前年度比650万円増の海軍費や製鋼所設立費を出してたのね。
これに衆議院の民党はブチ切れ。「はい、ムリです~。800万削減案出します~」としたわけ。
で、さらにもっと切れたのが樺山資紀ってわけ。
まぁ民党の予算削減案に真っ向から戦おうとして樺山資紀に、そりゃ民党はキレますね。もう収拾がつかないくらい大混乱になって・・・松方は衆議院解散ってわけ。