平安時代

治承・寿永の乱はなぜ起きた?以仁王の挙兵との関係

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鹿ケ谷の陰謀を経て、清盛に不満を持った院の近臣は居なくなり、平氏の力は相対的にさらに強くなった。

しかし一方で、これまで良好を保っていた後白河法皇と清盛の関係は急速に冷えこむことになった。

 

そんな中、清盛率いる平氏側は「後白河法皇側の勢力が衰えた今こそ千載一遇のチャンス!」と考え、後白河法皇に対してクーデターを起こす。

 

このクーデターをきっかけとして、平氏は時代の覇者になるどころか一転、転落の道をたどることになる。

 

どういうことか、詳しく見ていこう。

平氏のクーデター

 

冒頭でも言った通り、清盛と後白河法皇の関係は鹿ケ谷ししがたにの陰謀をきっかけに相当悪化した。

平氏側はより一層政治の中枢を握るようになり、対する法皇側は自分の院政を再び本格化させたいと考え始めていた。

 

この法皇側の思惑が表面化したのが、清盛の息子・重盛の死に際して起きた一件だ。

後白河法皇は、自分の権力拡大の一環として、重盛が生前持っていた知行国を勝手に自分のものにしてしまったんだ。

 

本来であれば、重盛の遺産は平氏側へと相続されるはずだよね。それを横取りされてしまったわけだから、清盛も当然怒る。

 

そこで、清盛たちは兵を引き連れて朝廷へ向かい、後白河派の官僚を一斉に解任して法皇自身も幽閉してしまった。

これが治承三年の政変とか言われる。

 

この瞬間、後白河法皇側の勢力はほぼ解体状態となり、朝廷の官僚も平氏側の人間だらけになった。

まさにこの時こそ平氏政権の絶頂ともいえる。

 

平氏への不満

 

しかしながら、清盛たちの行った“後白河法皇の幽閉”“官僚の大量リストラ”というのは、今までの清盛らしからぬムチャな行動だった。

 

物事を無理に押し通そうとすると、どうしても歪みがでてしまうわけで。

一連の平氏のクーデターは、人々に「横暴で極悪な平氏一族」という感覚を植え付けて、不満を募らせる結果となってしまう。

 

結果、平氏政権に異をとなえる反平氏勢力が数を増すことになる。

 

以仁王の登場で流れが大きく変わる

 

そして、その反平氏勢力の中から、実際に兵士に対し武力で抵抗しようとする動きがついに生まれることになる。

その口火を切ったのが、以仁王もちひとおうという人物。

 

この人は後白河法皇の三男。

皇位継承順位が低いのもあったけど、何より平氏がらみの権力闘争によって度々天皇即位のタイミングを見失っていた不運な皇子。

 

しまいには父である後白河法皇が幽閉され平氏政権が確立してしまったことで、もはや自分が天皇になれる可能性はほぼゼロになってしまう。

 

当然、以仁王からすれば不満でしかない。

自分が天皇になるためには、平氏を滅ぼすしかない・・。そう思った以仁王は、他の兵士に不満を持つ武士などを集めた。

 

この武士たちの中心は、平治の乱以来辛酸を嘗めてきた源氏勢力。

加えて、反平氏の寺社勢力も加わった。

 

そして全国に散らばった源氏勢力や寺社勢力に対して内々に「平氏を滅ぼして新しい時代を築くのだ!」という命を発する。

 

しかし、この動きが先に平氏側に露見してしまう。

平氏は大軍を動かして以仁王を潰しにかかり、以仁王はあえなく殺される。

 

 

「なんだ、以仁王の決起も無駄だったのかよ・・・」と思った人、それはまだ早いぞ。

 

以仁王が掲げた“平氏打倒”という命、そして以仁王の戦死という知らせが全国各地の源氏や反平氏勢力に届き

その勢力が相次いで平氏に対し反乱を起こすようになったんだ。

 

源頼朝とかもそうだね。

 

以仁王のアツい思いが平氏に不満を持つ人々の心に火をつけた、とも言える。

結果的に以仁王の挙兵が、これから長いこと続く「治承・寿永の乱」を引き起こして最終的には平氏の滅亡にまでつながっていくんだ。

 

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