明治時代

岩倉使節団の女子留学生を建議したのは黒田清隆

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今日は岩倉使節団ね。

有名な岩倉具視のちょんまげ画像と女子留学生の写真は資料集で見たことあるんじゃないかな?

中学生の歴史だとここから岩倉具視を知った人もいるだろうけど、俺ら大学受験の日本史組は大丈夫だよな!!あの岩倉具視だぜ。

ともみちゃんの海外生活について今日はみてみよう。

岩倉使節団とは?

岩倉具視と言えば、薩長と協力して王政復古の大号令に尽力した人物だね。

次の彼のお仕事は、条約改正の予備交渉さ。
1871年12月23日~1873年9月13日までのかなり長い期間、海外に行ってたの。

目的は条約改正の予備交渉だったんだけど、実際は海外の制度を視察するような旅になっちゃったんだよね。

大使:岩倉具視
メンバー:木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳(なおよし)
これだけの大御所がこぞって海外に行くってのは当時からしてはすごいことなんだよね。

日本に残ったのは三条実美、西郷隆盛、大隈重信、板垣退助で留守政府を担当していたね。

 

条約改正自体はうまくいかなかったんだけど、

一緒に行ったメンバーが帰国後に日本の文明開化なんかにも貢献したとして評価されている。

そのうちの1人が後ほど紹介する津田梅子だね。

女子留学生を黒田清隆が建議

まだ当時の日本だと女性の地位って低いわけよ。

そんな中、黒田清隆は女子教育に興味を持っていて、岩倉使節団に女子留学生を5名を連れていくのね。

そのうちの2人を紹介するよ。
津田梅子・・・ 岩倉使節団の時は当時まだ7歳。津田梅子は10年間ほど留学して、津田塾大学作ってるよ。

山川捨松(すてまつ)・・・大山巌と結婚して、鹿鳴館では外国人の接待などをしたよ。

 

このように、岩倉使節団自体の目的である条約改正の準備はできなかったんだけど、上の2人のように帰国後の日本で活躍している日本人はいるわけなんだわ。

 

 

結局、条約改正するのは1894年のことだから20年以上かかるよ。

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