前回は街道の各所にある「宿場」にある宿泊施設についてみてきた。
今回は、この宿場のほかに幹線道路にある道路の「設備」について見ていこう。
江戸時代の標識・一里塚
大きな道路のそばには、一里(約3.927メートル)の間隔を置いて塚(土を盛ったもの)が設置されていた。
高速道路などではよく見かけると思うんだけど、道の横に「140.8」とか「24.5」なんて書いている小さな標識がある。
現代ではキロポストと呼ばれていて、起点から何キロの距離なのかを示した標識なんだ。
これと同じものが江戸時代にもあって、それが一里塚なんだ。
単純に標識の意味もあったんだけど、この一里塚の上には木が植えられていて、木陰で旅人が休めるように工夫されていたんだ。
問屋場で馬をチェンジ!
大名などお偉いさんたちの移動には馬を使うんだけど、馬も生きているからずっと走らせているわけにもいかない。
この問題を解決すべく、「問屋場」が設けられていた。
例えばある大名一行が、宿場Aから宿場Cまで向かうとする。途中宿場Bで一日宿泊する予定だ。
まずAからBへ向かい、そこで一泊するんだけど、ここで問屋場の出番。
大名たちが休んでいる間に、AからB区間運んできた荷物を、BからC区間を運ぶ馬に乗せ換えるんだ。
ここからわかるように問屋場の仕事はとっても重要。
大名一行の人数や荷物の量に合わせて馬を手配しなくちゃいけないから責任も重大だね。
だから宿場それぞれに問屋場が設定されていたよ。
ここに使う馬と荷物の世話をする人々は、「伝馬役」「助郷役」として近隣の農村から駆り出された。
まとめ
こういった、宿場や問屋場といった宿泊システムによって、江戸の交通は支えられていたんだね。