前回は、「天明狂歌」と言われる、江戸での狂歌文化を大成させた太田南畝について見てきたね。
国学の豊富な知識から出てくるパロディの数々が人気を博したんだったよね。
今回見ていくのは、同じ天明年間に生きた「天明狂歌」発展の立役者の一人、石川雅望(まさもち)についてだ。
石川雅望のペンネーム
石川雅望は、浮世絵師であった石川豊信の息子として生まれる。
父は浮世絵師と言っても、家業は「宿屋」。
宿屋で働いていたことから、狂歌師としてのペンネームは“宿屋飯盛”。
割とそのまんまだ(笑)。
家業に勤しみながら、狂歌のレジェンドの一人・大田南畝に狂歌を学びに行く。
その後天明年間に様々な狂歌を発表し、これが大人気となる。
この時出版した『万代狂歌集』が特に人気だった。
古今和歌集の序文を狂歌に!
雅望も大田南畝と同じく、もともとある和歌をもじったパロディー作品を数多く生み出した。
その中でも、和歌界で知らぬものはいないほどの有名人・紀貫之が著した古今和歌集の序文をもじったものが有名だ。
それがこちら。
- 「歌よみは 下手こそよけれ 天地(あめつち)の 動き出して たまるものかは」
原文はこんな感じ。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり
要するに雅望は、「歌よみは下手っぴくらいが良いよ~。うまく歌いすぎて天地が動き出したらたまったもんじゃねえぜ!」
と紀貫之の序文を皮肉るという・・・。
この、ナンセンスな感じが最高だよね。
まとめ
狂歌は、天明年間を過ぎると結構スーッと流行が過ぎ去ってしまう。
天明年間を中心とした江戸後期だけの文化ともいえる。