今回は石原莞爾の紹介。
大学受験の日本史ではそんなに重要視されていないかもしれない人物なんだけど、この人は本当に天才でね。
1940年に出した「世界最終戦論」という本では日本とアメリカが戦争になる事を予想していて
・戦争は短期決戦で空中戦がメイン
・国民が総動員される
・決定的な兵器が登場する
みたいな未来予測をバシバシ当ててた人物なんだ。
とにかく戦争に長けてた人物なんだ
今日はそんな石原莞爾について簡単に紹介するよ。
本当はいくつも面白いエピソードがあるんだけど、大学受験の日本史に必要な知識だけピックアップするさ。
石原莞爾という人物
石原莞爾は関東軍参謀として満州国の樹立に大活躍した人物。
ともに活躍したのが板垣征四郎。板垣征四郎は石原莞爾とともに満州国の樹立に活躍する軍人なんだけども、彼は第二次世界大戦後の東京裁判で死刑。
石原莞爾は東条英機の暗殺を企てていた事と、病気が理由で死刑を免れるんだよね。
まぁつまり彼らは第二次若槻礼次郎内閣の不拡大方針を虫して、軍事行動をとり満州事変を起こした人物たちって事だね。
関東軍のこうした動きに対して、実は世論もかなり支持をしていたんだ。
関東軍は満州事変勃発直後から、張学良政権を排除して満蒙を中国国民政府から切り離そうとしたわけ。
幣原喜重郎外相はこうした関東軍の動きにめちゃくちゃ反対しててね。
だって日本が中国の主権・独立の尊重を取り決めていた九か国条約に違反するから、列国から非難されちゃうじゃん?
他の国からしたら、みんなで約束したのに何勝手に中国に攻め入ってんだよ!ってイメージだし。
それでも関東軍は政府の反対を無視して何度も要地を占拠していくの。
何度も言うけど活躍してるのが石原莞爾や板垣征四郎ね。
若槻礼次郎内閣の後に発足した犬養毅は満州国に関してかなり渋っていたんだけど、
関東軍は1932年3月に溥儀を執政として、「満州国建国!!」と宣言しちゃうわけ。
最後まで渋っていた犬養毅は暗殺されてしまい、その後の内閣の斎藤実(さいとうまこと)内閣にて、軍部の圧力と世論の賛成で政府も満州国の承認をしたって流れさ。
何度も言うけど、関東軍の中心人物が石原莞爾や板垣征四郎ってわけね。