鎌倉時代

伊勢神道は誰が成立させた?簡単にわかりやすく。本地垂迹説についても。

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さて、前回まで続けてきた仏教のお話はいったん終了。

今回からは「神道」について見ていくよ。

 

といっても、神道と仏教は全く別なようで、実は結構関係が深かったりする

日本には仏教が入ってくるずっと前から「八百万の神」だとか「神話(イザナギ・イザナミとか)」など、主に自然と絡んだ多神教があった(神道)。

 

そこに、飛鳥時代あたりから仏教という違うルーツを持った宗教が入ってきたわけだけど、

「日本の神道と仏教をどうすり合わせたのか」ってトコが疑問だよね。

 

今回はそこらへんも含めて、わかりやすく説明していくよ。

仏と神、どっちが上?

 

冒頭でも言ったように、日本には古来からの多神信仰(神道)と、飛鳥時代から日本に入ってきた仏教は別々の信仰・思想だった。

普通なら分離したままの状態で残りそうなもんだけど、ちょいと複雑な事情で両者は絡み合うことになった。

 

まず、神道でいう「神」ってのは、“自然などに宿る人智を超えた存在”。

で、天皇家は「神」の中でも大ボス・天照大神の血を引いているとされる。だから当時偉かったんだね。

 

一方仏教の言う「仏」ってのは、“元は人間だったけど、悟りを開いた人のこと(特に釈迦)”を指す。

 

なんかこれだけ見ると、人智を越えた「神」の方が「仏」より上なんじゃね?と思うよね。

 

 

しかし、奈良時代の聖武天皇を思い出してほしい。

聖武天皇は神の血筋を引いているのにもかかわらず、仏教に傾倒してたよね。

 

それ以降も代々天皇は仏教を保護してきたよね。鎮護国家思想もあったし。

 

すると当然「天皇は神の子孫なのに仏様を信仰してるって、どゆこと?」という疑問が浮かんでくる。

 

結果、

「天皇が仏様を信仰するってことは、ひょっとして神より仏の方が格上なの?」

「いやでも、もし仏の方が格上なら、神の子孫である天皇が一番偉いっていうこれまでの日本の伝統どうなっちゃうの?」

 

という風に、ものすごく混乱を招いてしまう。

 

 

仏>神という序列にしても、神>仏という序列にしても、矛盾が生じてしまう。

これをどうやって解決したかと言うと・・・。

 

仏=神

と定義したんだ。

 

これを本地垂迹説ほんじすいじゃくという。

 

本地垂迹説

 

本地垂迹ほんじすいじゃくは、

 

まず言葉の意味だけど、

「本地」・・・“本物”という意味で、仏の事を指す。

「垂迹」・・・“仮の姿”という意味で、神の事を指す。

 

 

つまり、

「天照大神や八百万の神ってのは、実はみんな仏様の仮の姿だったんだよ!だから仏=神なんだ!」

と言うことにしたわけ。

 

確かに仏=神と考えると、神の血を引く天皇が仏教を信仰するのも辻褄があうよね。

 

この本地垂迹説という考え方により、別々の思想・信仰を違和感なく融合することが出来るようになった。

 

伊勢神道と反本地垂迹説

 

そんな本地垂迹説の登場により、ひとまず整合性が取れたわけだけど、

鎌倉時代になると「本地垂迹説」を否定するかのような新しい考え方が登場する。

 

それは「反本地垂迹説」。神本仏迹説ともいう。

 

反本地垂迹説は、

“そもそも神が本当の姿で、仏が仮の姿なのだ!”

“仏より神の方が偉いのだ!”

と主張した。

 

これを主張したのは度会家行わたらいいえゆきという伊勢神宮の外宮の神官。

非常にざっくりいうと「元々日本は神のいる国だったんだから、神が仏より上なのは当たり前だろぉ!?」という主張の元、反本地垂迹説は唱えられた。

 

神の方が地位が上だなんだって言いだすと、さっきも言った「天皇が仏教信仰してるのはどゆこと?」って矛盾を蒸し返してしまう気がするけど・・・(笑)

まあ「神が本地で仏が垂迹」って言ったほうが、仏が元人間ってことも考えるとしっくりくるっちゃあくる。

 

結局本地垂迹説も反本地垂迹説も、それぞれ一つの考え方だからどれが正しいとかはないってわけ。

 

 

 

ちなみに度会は、この反本地垂迹説のほかに「内宮と外宮の方が偉いんだ!」という理論を提唱したことでも有名。

 

実は伊勢神宮、内宮と外宮でまつられてる神が違っていて、

内宮・・・天照大神

外宮・・・豊受とようけ大神

となっている。

 

で、天照大神は太陽神とも言われ日本の神の中でも一番尊いとされていて、

一方の豊受大神は農作物や農業を司る神とされる。

 

度会は外宮の神官だったから、「どうにかして内宮よりも外宮の方が偉いっていう風潮に持ってけないかな・・・」と考えた。

 

で考え出したのが、

 

「実は豊受大神は宇宙を司る神だったのだ~!だから天照大神より尊い!」

「つまり天照大神を祀ってる内宮より、豊受大神を祀ってる外宮の方が偉いんだー!」

というトンデモ理論だったわけだ。

 

これに反本地垂迹説も組み合わさって、伊勢神道と呼ばれる。

 

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