昭和時代

鉄のカーテン演説とは?イギリスのチャーチルが行った演説。

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冷戦の原因をわかりやすくでも解説をしたけども、アメリカとソ連はバチバチやっていたね。

1945年10月に国際連合が発足して戦争で勝った国々が戦争で負けたドイツ、イタリア、日本などをどうやって統治していこうか?

みたいな話し合いをしていたんだけど、結局アメリカが日本に原子爆弾落として戦争を終わらせたってのは

インパクトが強すぎて、国際連合と言っても結局はアメリカの発言権が強かったんだよね。

 

国際連合に関しては、『国際連合とは?簡単にわかりやすく解説。国際連盟との違いもチェック!』の記事を読んでね。

そのアメリカってのはソ連とバチバチやってたけど、それを象徴づけるのがイギリスの『鉄のカーテン演説』なんだ。

 

鉄のカーテン演説とは?

さっき、国際連合がアメリカの影響強すぎぃ!

と話したけど、ソ連もソ連で第二次世界大戦の時にドイツが攻めまくってきたのをソ連側が多数の犠牲者を出しながらも食い止めた!

って実績があってね。

アメリカばっかりじゃなくて、ソ連もめちゃくちゃ頑張ってたんだよ?

という気持ちが強かったわけ。そして、第二次世界大戦でドイツが敗戦して、東ヨーロッパがガラ空きだったから、ここに目をつけたソ連が

東ヨーロッパでの影響力を強めていったわけだね。

 

鉄のカーテン

wikipediaより引用

これが鉄のカーテン。

赤いのが東側陣営(ソ連)で青いのが西側陣営(アメリカ)

イギリスのチャーチル元首相が、アメリカの大統領トルーマンに招かれてアメリカにある大学で演説したのね。

その時に、

From Stettin in the Baltic to Trieste in the Adriatic, an iron curtain has descended across the Continent. Behind that line lie all the capitals of the ancient states of Central and Eastern Europe.
バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパ及び東ヨーロッパの歴史ある首都は、全てその向こうにある。

— ウィンストン・チャーチル

って演説したんだよね。

 

イギリスから見て、東ヨーロッパは鉄のカーテンの向こう側にあるとされてさ。

東西が対立している様子を象徴づけたんだよね。日本でも、東欧、西欧という言葉が活発に使われるようになったのさ。

この演説は1946年の事で、その2年後にはドイツのベルリンが封鎖されて、1949年にはドイツが分断されたよね。

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